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散文1

日々暮らしていく中で、
私には決まった行動や習慣というものがほとんどない。風呂に入らないこともあれば眠らない日も未だ存在はする。

ただ、毎朝目が覚めるとコーヒーを飲む、ということは欠かせなくなってきている。
特に理由はない。
毎朝コーヒーが飲みたいだけなのである。

コーヒーが好きか?と聞かれれば、まあ好きだけれど、昨今どこに行ってもその界隈やモノのこだわりの人がいる。
私はそういった類の人間ではない。
ある種の特定の事柄に関してはそうなってしまう瞬間もあるにはあるが、ことコーヒーというものに関して、私はなんのこだわりも持っていない。

どこで採れた豆でもいいし、どんな淹れ方でも構わない。
スーパーで、安くて量が多い挽いてあるコーヒーの粉を買ってきて、ただただあたたかいコーヒーを飲む。
夏だろうが冬だろうが、そこはホットである。
外ではアイスコーヒーやペットボトルの冷たいものなんかをよく買ったりはするが、朝は必ずホットだ。

この場所の何が気に入っているかといえば、こういったことなんだろうと私は思う。
規律もなければ自由さもない。なんにもない。
ただのノートだ。
何を書いてもいいし、何も書かなくてもいい。
ここで自由なのはこの場所ではなく私の方なのだ。

あくまで主観だが、SNSは何かをお伝えしたり、日々のおもしろを書いてみたり、あんなものを食べただとか何処そこへ行った、みたいなネタが必要不可欠なのではないか?と私は思ってしまう。
短い文章やトピックやスピード感で出来るのでハードルは低く設定されてはいるのだろうが、ちと構えてしまう節がある。

まあ目的や認識にはよるだろうけど、私の中ではここはそうった概念からは少し、切り離されていても許されるように思う。

特段大きな反応がなくてもいいし、何かを伝えたい、といった使命感もない。なにかネタのようなものがなくとも個人的には問題ない。
文字通り"ノートに散文をただ書き連ねている"。そんな感覚である。

では日記でもつければいいのでは?
とも思うが、そこは21世紀。
スマートフォンやパソコンで特定の場所に手記を認めてゆく。これでいいのだ。
鉛筆や紙や消しゴムもいらない。

どんな類の事柄でも、その気になれば誰かと繋がってゆける。
人情味が薄れてきた昨今、こういった"曖昧な手記"のようなものもひとつの人情のカタチなのではないか、そんな事を思ったり思わなかったりしています。

とにかく、反射神経のみで書き連ねた散文で申し訳ないではありますが、私がここを気に入っているひとつの理由です。

それでは、また。

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