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散文 6

昨日の午前中
友人から吉報が入る。
子供が無事産まれた
ということだった。

実にめでたいことだ。
彼は不妊治療や様々なことを
長い期間続けていた。
忙しい生活の傍らで
非常に大変だったことだろう。

そんな苦労話も一部、耳にはしていたので
私は朝っぱらから
コーヒー片手に
目頭を熱くしていた。

そんな昨日、
私はとあるフェスティバルに参加していた。
我々のライブがはじまると
人々は曲に合わせて声をあげ
体をぶつけ合い
人が人の上を舞ってゆく。
ステージ上にも人が溢れかえり
次から次へと飛び去ってゆく。
皆一様に楽しそうな顔をしていて
私は非常に嬉しくなる。
こういった光景や顔を見るために
続けているんだろうな、とも思う。

人が降ってきたり
ステージに人が溢れかえったり
ということから
セキュリティという人たちが存在する。
人々を危険から守ったり
演奏が止まらぬよう機材などを守ってくれたり
文字通りセキュリティの仕事を
買って出てくれている人々だ。

昨日印象的だったのが
そのセキュリティの方々も
守るという仕事の傍ら
曲に合わせて声をあげたり
楽しそうな顔で人々を捌いたりしていたことだ。

はじめての土地
はじめてのフェスティバルではあったが
来れたことを非常に嬉しく思った。

終演後、
そのセキュリティのうちの1人の方に声をかけられた。
彼は約半年前に別の土地で開催されたフェスティバルにもセキュリティとして参加していた。
そのフェスティバルはステージに上がってきた人を捕まえて退場させる、ということをしていた。
勿論、安全上の観点から、ということである。

事前に、密に、話し合いが出来ていれば何かが変わったのかもしれないと思うと我々の落ち度だ、とも思うが、フェスティバル側からするととにかく安全を守る必要があったのだろう。
そんな中、どちらの意向も理解した上で、
彼は当時複雑な思いで仕事をしていたとのことだった。

『その時すごい悔しかったから、今日みたいな日に仕事が出来て本当に嬉しかった』
と泣きながら言っていた。

私はまた目頭熱くしながら"本当にありがとう"と伝えた。

とにかくよく泣く日だ。

打ち上げにすき焼きがあった。
その横に卵が山積みされている。

なんとなくその卵は使わずに食べたのだが
私は卵が好きだ。

辛ラーメンに入れたり
焼いたり
と色々するが、
とにかく茹で卵というものが好きなのだ。

どんな気分の時にも食べれるし、
栄養価も高い。
味がついたものも
茹でたての味のないものも
なんでも美味い。
何もつけずとも
よく噛んでいると
卵自体の味が美味いのだ。

少し前までは
"死ぬ前に何を食べるか?"
というよくある問いの答えとして
茹で卵
を用意していたほどだ。

今はよくわからない。
死ぬ前の想像よりも
日々を生きることで手一杯だ。

朝に誕生の話、
夜に山積みの卵、
そんなことから
卵が先か、ニワトリが先か
といったことに思いを馳せている。

どちらが先か
当時を知るものなど存在しないはずなので
すべては推測、ということになるのだろうが、
おもしろい話だな、と思う。
確かにどちらかわからない。
実際にどちらが先だったかというのは
この際どうでもいいのだろう。
そこに議論が生じる
というのがおもしろい点なのだろう。

散文、というものについて考えてみる。
一体どんなつもりではじめたのか。
今となってはわからない節もあるので
読み返してみるが、
わからなかった。

散らかった頭の中を
文章にしてみよう。

きっとそんなことだったんだろうな
と、推測する。

あっちにいったりこっちにいったり
よくわからない。
でもそれでいいのだ。
定義がないからこその散文。
そういうことにしておこう。

とにかく私は今
腹が減って仕方がない。
あの空に浮かぶ白い雲すらも
茹で卵に見えてしまうほどに。

散文として

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