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精神性の深さが、あなたの潜在能力を引き上げる!

本日の投稿を読んで、あなたの心の中の深~~いところから「何か」がうごめいてくると、あなたはきっと成功するだろう!楽しみにしていてね!

さて、質問です!

「あなたは今、何を考えていますか?」

考え

こう聞かれたら何と答えるのかな?

愛する人のこと?子供(孫)の学校の点数のこと?将来のこと?

それとも落とした財布のこと(笑)

もちろん何でもいいんだよ!だけど油断しないで。。。

ボ~っとしている時に、人は「その時一番気になっていること」を無意識に考えているらしいから。

どうかな?最近、ボ~っとしていることはあるかな?

その時に、あなたは何を考えていたかな?ここ数日間、ず~っと考えているなら、それはあなたの優先順位が1位なんだろうね。


私は、いつもだいたい同じだ・・・

それは何って?

教えてあげな~~い(苦笑;)ウソだよ!


だいたい考えているのは

「仲間の成功」・・・かな。

仲間

「〇〇さんは、どうすればうまくいくだろうか??」ということが多い。


つまり『上手くいきますように!』ということね。

これは、ある意味で『祈り』にも似たものかもしれないな。

さて本日は、自分の中の『祈り』について考えたい。それは一種の宗教心的なものかもしれないけど、結構、大事だと思うから最後まで読んでね!

これについては、数学者でベストセラー作家の藤原正彦氏にから学んでいこう!

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江戸時代、お伊勢参りはすこぶる盛んで、多い年には500万に達したらしい。

当時の人口を考えれば5人に1人である。

庶民に旅行は許されなかったが、寺社参拝のためなら許された。

白衣に菅笠(すげがさ)、筵(むしろ)を背負っての旅立ちだった。

参宮者を助けるのは功徳ということで、街道沿いの裕福な商店や寺は食事や宿泊をただで提供したという。

何と美しい日本の風景だろう。

彼らは各地でのお寺参りやお宮参りで、私と同じように無病息災や加護を祈り感謝を捧げたのだろう。

彼らの意識に、宗派の違いや教派の違いはなかったろう。

神と仏の違いさえなかったのではないか。

日本人が神仏に手を合わせるのは、宗教ではなく【宗教心】である。

戦後、公立学校では、宗教教育が禁止されたはずみで、宗教心までが切り捨てられた。

神仏に手を合わせるという先祖代々の美風、日本人の真髄といってよいものが捨てられたのである。

何か人間をはるかに超えた存在にひざまずく、という心は物質主義、傲慢の氾濫する現代にこそ、求められる。

真髄を失った国民は風にそよぐしかない。

【この国のけじめ 藤原正彦 】

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私が教師時代に、生徒に対して感じたものの一端が、ココに集約されている。

藤原氏は「風にそよぐ~」という美しい表現をしているが、私が感じたものは、もっと痛烈なものであった。それは

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『生徒に、全く軸がない!』

ということだ。

とても不安定で、どっちに転ぶか分からない・・・何より、とても危なっかしい感じがした。


いきなり視点が変わるが・・・

そもそも、宇宙にはすべて目に見えない法則がある。

例えば、

太陽系は、太陽を中心に地球や他の星が公転している、とか。

原子も分子も全て プラス・マイナスでエネルギーを作って動いている、とか。

さらに、陰と陽の法則。。。これは 宇宙の大法則だ!

これも「原理原則」と言ってもいい。

原理原則

では、また質問!

その原理原則を、人間はどうやって学ぶのだろうか?」

それを世界で振り返ってみると、キリスト教、イスラム教、仏教、その他の宗教は、各国の教育の根幹をなしていることが多い。

しかも、宗教は紀元前から、政治・経済・文化・歴史・芸術などに多大な影響を与えてきた。

つまり、宗教は世界中でその国の『原理原則』を教えていたことになるのではないだろうか?

では、日本はどうだろう?

あなたは、日本の『原理原則』はどこで学んだかな?記憶にあるかい?

おそらく・・・ないよね~(-_-;)

ご存知の通り、第二次世界大戦(正確には、大東亜戦争というべきもの)後に、GHQが行った日本占領計画の中に組み込まれた「WGIP」という戦略の下で、まんまとマインドコントロールされてしまった・・・。

明治政府も政教分離はしていたようだ。信教の自由を侵さないために。

しかし、日本人の軸はしっかりとあったよね!

この違いは何なのだろうか?

江戸時代の寺子屋では、宗教教育はしていたようだから、その名残で明治時代になっても「お天道様」のことはきちんと伝わっていたのだろう。

たいおう

もちろん、政教分離はアメリカもそうしているよ。しかし、神話教育はしているのだから、結局は教えていることになるよね。

(ここは、興味があれば各自で調べてみるといいね!色々見えてくるから)


政治とは、本来「祭りごと」である。

上代には神を祭ることと政治が一体である「祭政一致」であったことからきている。

そこに一つの「軸(=信念のようなもの)」があると想像するのは難しくはないよね。

これは、アメリカ大統領の就任式の時を見れば分かる

大統領

聖書に手を置いて、宣言をするのだもの!

小浜

「政教分離」なんかしていないよね!


私が言いたいのは、宗教を持つことを勧めているのでなく、天を敬い、天と繋がることこそ大事なんだよ!それを思い出しませんか?ということなんだ。

「自分は生かされている、何か意味がある」


「何事のおわしますをば知らねども かたじけなさに涙こぼるる」(西行法師)

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どなた様がいらっしゃるのか、何が起きたのかはわからないけれど、なぜか、かたじけない気持で胸がいっぱいになり、涙がとめどなく出てくる…


この感覚は日本人が 生活の中で、自然と持っていたものなんだ。。。これは日本文化オリジナルと言っていいくらいの感覚・感性なんだよ。

いま、必要なのは日本人の『精神の復興』であり、その芯となるものは、宗教心なんだということ!

それをもう一度肝に銘じて、人知を超えた偉大なものにひざまずくという謙虚な姿勢を思い出さないかい?

ユウキアユミワールドアカデミー

会長 稲井英人

追伸

今後、アカデミーの方では、こういった勉強に加えて、いろいろ企画しています。お楽しみにね!

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