見出し画像

麦秋とゴッホ

数年前に初めて「麦秋」という季語を知った。それが秋ではなく夏の季語であるということも。私の実家の周りは麦畑なので、言われてみれば確かに梅雨前の5月の終わりから6月頃に麦の収穫が行われていたな……なんてことを思い合わせて、なるほどなと納得したものだった。
8年ぶりに実家に戻ってきた今、黄金色に色づく麦畑を目の当たりにして、いよいよ「麦秋」という言葉が実感を持って感じられる。

そんなことを思っているうちに「麦秋」あるいは「麦の秋」という季語を用いた俳句にはどんなものがあるのかと気になって、調べてみた。昔ながらの農村の風景を描いた句が多くを占める中、異彩を放つひとつの句に目が留まった。

読み返すゴッホの手紙麦の秋 (角川春樹)

とたんに目の前にはゴッホの描く黄金色の麦畑が広がった。
湿っぽさの漂う日本の農村風景から一変して、南仏アルルの、光と色彩に満ちた暖かな風景へ。

1888年、パリからアルルの地に移ったゴッホは、その年の初夏に収穫期を迎えた小麦畑を少なくとも10点は描いたという。その中のひとつ「麦畑」という作品は、前面に押し出された小麦畑の黄色がとても印象的で、上の俳句から私が連想したのもこの作品だった。
このときゴッホは、弟テオへの手紙に「見渡すと自然の中にたくさんの発見があって、それ以外のことを考える時間がほとんどない」と記している。南仏ならではの暖かな陽光と、都会(パリ)とは違った豊かな自然の中で、画家はどんなに伸び伸びとした活力を得ただろうか。

アルルとはだいぶ違うだろうが、自宅の周囲に広がる麦畑を見ていると、なんだか気持ちが大きくゆったりと開かれてゆく気がする。自然が生み出すこの黄金色の輝きにも、毎日毎日驚くばかりだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?