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✨生きる✨


~2011年6月~

何日も雨が降り続いていた。
いつものように朝の支度をしていると電話がなった。

「今すぐ病院に来てください」
「呼吸が弱くなっています」
母の入院先の看護師さんからだった。
それを聞き覚悟を決めた。
電話を切り急いで支度をする。そして、家を出る。


家から病院までは電車とタクシーを乗り継いで
1時間以上かかる。
タクシーに座ってふと真横にある窓ガラスに目をやると、歩道の水溜まりがキラキラと輝いて
いた。それはまるで水の宝石のように綺麗で
眩しかった。


そして、私は、数日前のことを思い出していた。
この日が母と私の最後の日となった。私と母は、お互いに不器用だった。だけど、私が助けを求めると助けてくれた。それが不器用な母なりの私への愛情表現だった。


普通の親子の関係ではなかったけれど、今はとっても満足している。そして、育ててくれた御恩も一生忘れない。ありがとう。私は、窓の外の流れる景色を見ながら心の中でそう呟いた。



〜病院にて~


目の前で看護師さんが丁寧に髪の毛を洗ってくれている。その姿を見て彼女の仕事への想いが私の心に伝わってきた。

急いで病院に向かったけれど、母の最後を看取ることはできなかった。だけど、それも母らしいな…。私はそう感じた。


そして、数ヶ月前の母の声が頭をよぎる。

「髪の毛を洗いたいな…」
「お風呂に入りたいな…」

私のお風呂上がりを見て母はそう言った。

「入る?」
私がそう聞くと

「いや、今日はいいや」
母はそう答えた。


この頃、身体の痛みが相当辛そうだった。
痛み止めを飲んでも全く効かないと言っていた。
お風呂に入るという事は、相当なエネルギーを使う。母は、自分の身体の状態をみて今日は無理だと判断したのだろう。

私のエネルギーを分けることができたなら…。
私は心からそう感じた。


母は、若い頃からお洒落をする事が大好きだった。
母の昔の写真を見るとどれも綺麗で輝いていた。半年前までは、お洒落を楽しみ人生を楽しんでいた。母のやるせない想いが、心からの絶望が
“今日はいいや”という言葉と共に私の心に届いた。


そして、眠っているように安らかな顔の母は、今はお化粧をしてもらっている。また、妹からこんな話を聞いた。

「昨日ね、ずっと洗えなかった髪の毛を洗えたみたいだよ」

「さっぱりしたって喜んでいたって」

「そしてね、何日も食べることの出来なかったご飯を半分も食べることができたと喜んでいたみたい。」


その話を聞いた瞬間、頭の中に映像が浮かんだ。そして、母の最後の望みが叶って本当に良かった。母のお世話をしてくださった看護師さんへの更なる感謝の気持ちが湧き上がった。どんな瞬間も寄り添ってくださり本当にありがとうございました。


~葬儀場にて~

時計の針は夜中の2時を指している。
パイプ椅子のギシッ、カタッっていう音だけが部屋全体に響き渡っている。

私は、何時間も前から母の顔を見に行っては椅子に座るを繰り返している。
和室では、私の家族と妹家族、そして、弟が眠っている。

そして、暗闇から足音が聞こえてきた。こんな真夜中に誰だろう…。
足音がどんどん近づいてくる。



~2011年3月~

その頃、抗がん剤が効いていて母の体調も落ち着いていた。母は、1つ覚悟をしたのだろう。突然、私にこう告げた。

「なみ、もし、私が死んだら1人は寂しいから
一緒に寝て欲しいな…。」

突然言われたこの言葉に私は少し動揺した。

なんて答えたのかは覚えていない。
だけど、母からのこのお願いを今日まで忘れる事はなかった。


~母の心友~


どんどん近づいてくる足音。暗闇から姿を現したのは母の心友だった。その姿を見て私の心はとても嬉しかった。
良かったね。もう寂しくないね。
私は心の中でそう呟いた。


彼女は、私に母との思い出話を沢山聞かせてくれた。私は、2人の深い絆を心で感じた。
ありがとう。母と繋がってくれて…。
私は彼女に深く感謝をした。


どれだけの時間が流れただろう。
窓の外が少しずつ明るくなり雀の声がした。
朝になったね。私は心の中でそう呟きながら窓の外を眺めた。

それから12年の月日が流れた。



~2023年3月~

「なみちゃん、毎日新聞の人生十色大賞があるから応募してみたら?」

幼なじみから突然そう言われた。

「ん?何それ?」

「そんなのがあるの?」

「この私が?国語力もないわたしが?」

「だけど、これもご縁だね、分かった、
書いてみるね」

こうして私の新たなチャレジが始まった。



私は、かなり不器用だ。
そして、自分には何もないと思って生きてきた。それが決して悪い訳ではない。
また、子供の頃の楽しみといったら遊ぶことぐらい。もちろん勉強も全く興味がなかった。
普通に結婚をして子供を産み、どこにでもいるような普通の主婦だ。


だけど、そんな私でもようやく表現する場所を
見つけた。それがビーズ刺繍だった。

ビーズ刺繍は、針と糸を使いビーズを1つずつ縫い付けて仕上げていく。それを1つずつ紡いでイヤリングやピアスにデザインしていく。

全てが手作業の為、沢山の時間とエネルギーが必要となる。だけど、私は、ビーズ刺繍に魅了され続けた。


私にとってビーズ刺繍は、私の友達であり仲間であり、そして、私が私らしく表現できるそんな場所となった。

私が作るビーズ刺繍は、私が生きてきた道、母が生きてきた道、ご縁があり出逢った方達の生きてきた道、沢山の生きてきた道と共に、私が感じてきた沢山の想いを込めてある。


決して万人受けはしないだろう。
だけど、どんな瞬間も私は嘘偽りなくありのままを表現をしてきた。


また、わたしはたくさんの生きる力と希望をお届けたいと想っている。

私らしく生きる
楽しく生きる
幸せに生きる
自分の人生を生きる
この瞬間を生きる

このたくさんの生きると共に
あなたがあなたらしく輝けますようにと
わたしは心から願い、そして祈る。

最後に…
私はいつも問うことがある。
それは、どんな私になりたい?
と…。

そして、あなたはどんなあなたにになりたい?
是非あなたにも聞いてみたい…。



~おわり~



最後まで読んでくださり本当にありがとうございました😊🙏✨

こちらは
『文芸社x毎日新聞 第6回人生十人十色大賞』に
初めて挑戦したものとなっております。

残念な結果でしたが、こうして書けたこと、挑戦できたことはわたしの経験の宝物になりました。今、わたしの心はとても満足しています😊✨

これからも心が動いたその際には、色々なことに挑戦をして悔いのない人生を歩んでいきたいなと思っています。

ありがとう😊🙏✨ Yuzu.yuzu.. “なみ

2023.09.06.

✨産んでくれてありがとう😊🙏✨

享年58歳
大切な母に捧げる
感謝を込めて…✨✨


もし、サポートしていただけるならば、そのサポート代は、新しいビーズ刺繍の材料を購入する為に使わせていただきたいと思っております。そして、なによりも、読んでくださったことがとっても嬉しかったです。ほんとうにありがとうございました。ᵕ̈*