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トランピアンになっちゃった人たちへ(2)

DISENFRANCHISED

4年間を通してトランプの罵り言葉に熱狂したのは、おもに非都会型の白人たちだった。

「DISENFRANCHISED(ディスエンフランチャイズド)」という言葉は「権利を奪われた、つながりを断ち切られた」という意味で、社会の中で当然受けるべき恩恵を受けられていない一群の人たちをさす。

黒人やヒスパニックなどのマイノリティは長年にわたり、白人ならば当たり前に享受できる権利にアクセスできないという意味でDISENFRANCHISEDだった。

現在では、非都市圏に住み、20世紀型の産業構造で恩恵を受けてきたけれど、グローバリゼーションとIT化によって仕事がなくなり、都会のエリートに軽くみられ、自分たちは割りを食ってばかりだ、と感じていた白人たちも、DISENFRANCHISEDとみなされている。

トランプ支持者の中核のひとつがこの層で、女性やマイノリティの進出のおかげで自分の取り分を奪われたと感じ、怒りと呪詛を燃やす白人男性が目立つ。

トランプはこうした人びとの不安と不満をかきたてる言葉をよく知っていて、彼らの聞きたい言葉をばらまいた。

特に民主党の女性議員に対するトランプの毒に満ちた罵詈雑言は熱狂的に受け入れられ、ナンシー・ペロシ下院議長、ヒラリー・クリントン、ミシガン州のホイットマー 知事などパワフルな女性政治家たちへの憎悪をあおった。去年10月に起きた極右白人男性6名によるホイットマー知事の誘拐未遂事件も、今月6日の議事堂襲撃でペロシ議長のオフィスが特に荒らされる目標になったのも、そんな憎悪がベースにある。

暴徒たちが口々に叫んでいた「STOP THE STEAL(盗みをやめろ!)」というのは、11月の開票以来「選挙を盗まれた」と根拠なしに主張しつづけるトランプ陣営のスローガンだったが、おそらく、トランプ支持者たちの「自分たちの取り分や文化が不当に侵害され脅かされている」という被害者意識に強く響いたのだと思う。

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NPR(What We Know So Far: A Timeline Of Security Response At The Capitol On Jan. 6)

日本のトランピアンたちの不安と恐怖

都会のエリートや有色人種や女性に自分たちの世界を侵害されていると恐れ怒っている人たちががアメリカのトランプ支持者の中核なら、日本で急にトランプを支持しはじめた人たちはどういうクラスターなんだろうか。

陰謀論でいっぱいのブログやYouTubeを覗いてみると、共通しているのは中国に対する嫌悪と恐怖だった。

中国に対して貿易戦争で強い態度をとったトランプなら、魔法のように中国を抑え込んでくれるに違いない、という期待を寄せている人がたいへん多いらしい。

この人たちが感じている不安は正しい。中国は元気いっぱいに21世紀の世界を牛耳ろうとしているし、日本は明らかにナンバーワンの座をもう何年も前に手放し、没落し続けている。

日本のトランプ支持者と米国のラストベルトの人びととの共通点は、失われた栄光と経済基盤への深い喪失感と不安、次の時代の覇者となりつつあるものに対する言いようのない嫌悪と恐怖…なのだろうか。

そうか、日本もついに置いてきぼりにされて恨む立場の国になっちゃったのか、と、なんだかしみじみ悲しく納得してしまった。

中国はたしかにものすごく勢いがある国で、リソースも分厚く、なにしろ人材が多く、なにしろ一党独裁国で人権など考慮する必要もなくあらゆる障壁を排除できるので政府のフットワークも軽い。どう考えても高齢化して硬直したシステムを抱える日本の勝てる相手ではないし、米国もきっと、だんだん中国の体力に勝てなくなっていくのだろう。

たしかに中国は脅威だが、誰か一人の政治家が、ましてやトランプさんなどがなんとかできるような問題ではないし、トランプは日本のことなんか鼻毛ほども気にかけていない。そもそも自分に投票しなかった自国の国民を敵認定している人なのだからね。

圧倒的な不信

陰謀論には、1)既存のシステムへの深い不信、2)魔術的思考、そして3)嫌悪と攻撃の発動という特徴があるようだ。そのすべてが、深い不安にもとづいているのだろうと思う。

陰謀論を語る人を観察するといくつかパターンがある。「マスコミは機能していません。リサーチしてみてください」というのがその一つ。(こういうことを言ってくる人は、「リサーチ」というのはマスメディア以外の場所で情報を見つけることだと思っている節があるようにみえる)。

わたしたちは誰もが、とても処理しきれない膨大な情報にさらされている。新しいテクノロジーが急激に状況を変え、世界情勢は複雑きわまりない。

みんなが顔見知りの村で一生を過ごしていた時代とは違って、世界をどう解釈しどう対処するかは一人ひとりの肩にかかっているうえに、変化の速度がむちゃくちゃ速い。これは重圧だ。

情報の多さと選択肢の多さに、誰もが圧倒される気分を味わっているはずだ。その中で、すっきり明確な答えと方向性を持ちたいと願うのは当然。

「マスコミは機能していない」と切り捨てれば、情報を断捨離することができ、状況をコントロールできている感覚が得られるだろう。理解はできるが、それはあまりに損だ。

世界各地の政治・社会・経済・軍事・文化の状況を現地で詳細に把握し分析する。議員や官僚や専門家との継続的で直接的な接点を持ち、情報を聞き出す。最先端の科学やテクノロジーを解読する。…ジャーナリズムにはそういう機能がある。

報道機関では、数多くの記者やリサーチャーたちが、それぞれの分野での系統的な知識と基準にもとづいて報道をしている。

もちろんどのメディアにも程度の差はあれバイアスはあるし、すべての記者が倫理を守るとは限らない。しかし、大多数の記者や執筆者、編集者たちは職業上の良心を持ち使命を感じて仕事をしているとわたしは信じるし、彼らの専門能力を尊敬している。バイアスがあるからといってそのすべてを否定して嘲笑する態度はばかげている。

科学や学術の世界では査読システムが研究成果の質を担保している。多くの人間が相互にチェックしあい、基準とルールにもとづいて互いの仕事を認め合うことが、文明の基盤だ。

司法の世界も政治の世界も同じで、信条が大きく違っても、法にもとづいて議論するという大前提が社会にはある。これを政権末期のトランプは完全に無視して、自分が「こうであってほしい」と願う主張を現実だと言い張って押し通そうとした。

既存のシステムをまるで信用しないということは、つまり、人類一般を信用しないという選択をすることになる。慎重さと疑心暗鬼はまったく別ものだ。自分の信じるストーリーに合致しない人たちをすべて切り捨てていくのは、あまりにも貧しい生き方ではないかと思う。

(まだ続きます)


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