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アメリカの矛盾が教えてくれること。(リンチ殺人メモリアルのこと、その3)


南北戦争後から第二次大戦後までのあいだ、アメリカの南部では白人による黒人のリンチが日常的といっていいほど頻繁に行われていた。

当時だってみんながみんな、黒人は理由もなくふつうに惨殺されて当然と思っていたわけではもちろんない。

19世紀からリンチに反対する運動をしていた人々もいたし、1908年にはNAACP(全米黒人地位向上協会)が組織された。でも公民権を求める運動が国を動かすほどの勢いを得たのは、1950年代なかばになってからだった。

ビリー・ホリデイが『奇妙な果実』を歌ったのは1939年。当時は内容がセンセーショナルすぎてなかなかレコーディングできなかったという。

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リンチされて木から吊るされている死体のことを歌ったこの歌は、今では彼女の一番有名な歌として知られているけれど、その当時、それは話題にすべき内容じゃなく、ほとんどの人にとってどう扱っていいかわからない問題だった。

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公民権運動から半世紀以上がたつ今になってなぜこの記念館を作ったのかという問いに、発起人のスティーブンソンさんはインタビューで「アメリカを罰したいのではなく、解放したい」からだと答えていた。

忘れたふりをしたり、なかったことにしたりすることでは決して傷は癒せない、直視することでしか過去は乗り超えられないのだ、という。

癒しをかたちにするプロセスのひとつとして、リンチ殺人現場の土が、ボランティアや親族の手で集められビンに詰められて、メモリアルの近くにあるミュージアムに展示されている。

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ミュージアムのサイトより)

このミュージアムはモンゴメリーのダウンタウンにあり、競売にかけられる奴隷の「倉庫」だった場所にある。

ここでは、奴隷貿易から現在までをひとつながりの歴史として展示している。

遺物を見るためのものではなく、歴史にかたちを与え、それを現在につながるものとして問いかける構成になっているのだ。

いま現在も、驚くほど偏った割合で、ときには無実の罪で、黒人男性の多くが刑務所に収容されている。ミュージアムではその現在起こっている事実が歴史のコンテクストの中で語られている。

1973年以降、アメリカではなんと162人もの死刑囚が冤罪を証明されて釈放されているが、その多くは黒人だ。

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スティーブンソンさんの主宰するEJIは死刑囚の無実を証明するために尽力してきた。この冤罪の数も、既存の法システムに組み込まれたバイアスを物語っている。

『ガーディアン』の記事では、メモリアルについて「こういうのはもう過去のことだからわざわざほじくり返さないほうがいい」という人の意見も紹介されていた。

でも、批判ではなくて解決と癒しとを目指す意思と冷静な行動力だけが、たぶん、唯一の解決なのだとわたしは思う。

こんがらかった歴史と感情があるとき、それをほぐしていくほうが、名前を与えずに葬り去るよりも、ずっと精神に良い。それが、成長ということだ。

アメリカという国は「すべての人は生まれながらにして等しく自由で独立しており、先天的な権利を持っている」という自然権をうたって建国したのにもかかわらず、奴隷制というとてつもない矛盾を抱え込んでいた国だった。

アメリカの現代史は、その「すべての人」の定義をめぐる戦いの歴史だったともいえる。

平等という理想を掲げながら先住民のネイティブ・アメリカンや奴隷であったアフリカ系アメリカンの人権を徹底的に蹂躙していたというとんでもない矛盾が、アメリカという国のカオスなパワーのひとつの源なのだと思う。

ある意味すごくわかりやすくて圧倒的なこの矛盾が、20世紀を通して文化面でも政治面でもいろんなものを生み出してきたし、それは米国のみならず世界全体に作用した

ジャズもロックも奴隷時代のレガシーと人種間の緊張なしには生まれなかったし、何世代も続いた迫害に対する激しい公民権運動とその勝利なしには、そのあとのウーマンリブもLGBTムーブメントも現れなかった。

と、半世紀あとにざっくり振り返ると、まるで現在の社会のあり方にたどり着くのが当然だったかのように思えてしまうけど、1860年の人びとにも、1955年の人びとにとっても、自分たちがよく知っている社会秩序がすっかり変わってしまう未来像は荒唐無稽に感じられたはずだ。

常識は、変わるもの。

アメリカという国の圧倒的な矛盾が人類史に残したものはとっても大きいし、まだそれはぜんぜん終わっていない。

いま、米国はまた何度目かの揺れ戻しを経験して完全に分裂しているように見えるけれど、これも50年後や100年後の人から見たら、ある方向に向かう途上の、当然の動きに見えるのかもしれない、なんて思う。

その50年後の社会で当たり前になっている生活感覚は、いったいどんなものなんだろう。わたしたちはいったいどこへ行くんだろう。


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