聞こえてくる音色
か え る の う た が
き こ え て く る よ
どこから?
高い金属音のメロディ。
最初はオルゴールだと思っていた。
別の日に耳をすましていたら、次第に音が外れてトン、テン。
あれ?
途切れたメロディの代わりに「あー」と幼い子どもの声。
すぐ近所に小さい子が住んでいる。去年の今ごろは夜泣きする声も聞こえていた。
最近は早起きで、パワーあふれる声に私も元気をもらっている。
カラフルな鉄筋のおもちゃを想像する。
きっと親が叩いてみせて、子どもが真似しているのだろう。
昨日は季節外れのチューリップが朝の街に咲いた。
今朝は雨音に混じって軽快なドレミの歌の行進。
親子でお気に入りのおもちゃなのだろう。
毎日のようにやさしいメロディが、網戸をすり抜けて流れてくる。
そして楽しそうな笑い声。
ひとつ音を出すたびに、語尾に「!」を付け足したような高く弾んだ声と、その後にふふふ、という声がつづく。
友人の子どもはこの子よりもう少しだけお姉さんのはず。遊びを通して、我が子の挑戦の芽を日々見守り育てているのだろう。
別の友人の子は、もう小学生。
先日送られてきた写真は友人の学生の頃にますます似ていて「親子!」と感激してしまった。
来月、数年ぶりに会うことになった。
どんな話が飛び出してくるのだろう。どんなに綺麗でたくましいお母さんになっているのだろう。
変わらないなぁ、とため息。自分のことだ。
私には人に話せるような大きな変化が無い。
「聞いて聞いて!」と言えるようなものが思い浮かばない。
いつも見えない波や落とし穴に怯えて、小さな小さな砂山を崩すことだけに専念している。
何かを成し遂げたからとか、誰かのためになったからとか、意味や目的を必ず見出さなければいけないわけではないのに、ね。
人と会う約束をすると、それだけで胸がザワザワする。
人が好きなのに、苦手。
その気持ちが年齢を重ねるほどに大きくなっている気がしている。
くよくよしたくないのに、脳がそうしたがる。
些細でつまらないことなのは分かっているけど、気にせずにはいられない。
今日の自分の声には、少しトゲがある。
鉄筋のメロディ。
雨の朝を楽しく、夏の朝を涼しくさせてくれる音。
人の声から、少しだけ離れたいときがある。
今日は本を読もうかな。
読書は“書き手や登場人物と交流する行為”だとある人が言っていた。
このnoteも文字を通して書き手や読み手と交流できる行為。
どちらも私の落ち着ける場所。
心澄む音、文字のささやき-
今日が皆さんにとってすてきな一日となりますように。