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帆、音楽

 音楽について考える。本と同じように、私のそばにはいつも音楽があった。寄り添ってくれた。音は私の心を代わりに表象した。それはときには言葉よりも雄弁で、言葉を愛する私だけれども、その力は否定できなかった。

 もちろん私は音楽の専門家でもないし、たくさんの音楽を知っているわけでも聴くわけでもない。世界にはいっぱい音楽があるのは知っているし、それらをすべて知ろうとする姿勢は尊いけれど、私は私にとって身近で、距離感を考えずに聴ける音楽を求めている。今日では、意識的に自分の領域に入れる音楽を選ばなければ音に領域を侵犯される。あまりにも多くの音楽があるうえに、それらにアクセスするのも容易になった。サブスクといわれるものの影響も大きいだろう。いまだにいちいち音楽を購入している若者は私のそばにはあまりいないように思う。もっとも、私は基本いつもひとりでいるのを好むから、私と同じ年代の音楽に対する向き合い方に疎いことは否めないが。

 音楽はいくつもの場面で私に寄り添ってくれた。孤独に耐えられないとき、失恋したとき、なにもないのに気分が沈んでいるとき──。私は気分を上げたいときに音楽を聴くということはない。反対で、私のリズムに音楽が乗ってくるという感覚が近い。音楽が流れれば、波長は勝手に合ってくれることがしばしばだ。だからなんだろう、盛り上がるような夏曲を聴かないわけでもないけれど、私の心はだいたい凪いでいるから、そのような曲は私のリズムに乗ってくるのが難しい。だから結果的にあまり聴かないのだろう。

 孤独に耐えられないとき、あるいは勇気を挫かれていたときは乃木坂46の『何度目の青空か?』の歌詞に救われたし、大切な人と離れ、もう一度自分の力を信じてみることを決心したときにはずっと真夜中でいいのに。の『眩しいDNAだけ』が背中を押してくれた。大切な人と離れた後の空白は乃木坂46の『やさしさとは』が満たしてくれた。スピッツの音楽はありふれた日常にスプーン一杯程度の幸せを加えてくれた。ClariSの音楽には何度勇気づけられたか。歌詞のないインストもよく聴いた。英検1級の筆記を受けるまえにhisaさんの『Suiren』を聴いて心を落ち着かせていたことは、きっと、忘れないと思う。そして、さいきんでは、騒音のない世界さんの『ひとり』。私の心に私の居場所を与えてくれた大切な音楽で。人が孤独を感じるのは、自分と一緒にいられないときで、『ひとり』はそんな私さえも包み込んでくれる音楽だった。

 人はひとりでは生きられない、なんてことはよくいわれるけれど、それは自分以外の人としての他者がいなければならないことをいうのではなくて、自分が信頼できる人以外の他者に適切に寄りかかることができなければならないという文脈でも捉えられることだと思う。自分自身とも一緒にいられない時期に、自分と同じ人間を頼れといわれるのは酷すぎるし、刺激が強すぎる。たとえば、猫でもいい。猫と一緒にいるだけで、少しずつ自分の中にスペースが生まれてくるだろう。本も、そう。人間はいつだってエネルギーが多すぎるし、刺激も強い。勝手だし、ひどいことも言う。アリストテレスが言うように、人間はポリス的動物だから、他者としての人間と関わらなければならないのはそうだけれど、そういうのはほどほどでいいと思う。

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