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僕はなぜ”あがり症”だったのかを考える。

この記事の読了目安時間は、約12分です。

 みなさんこんにちは。お元気でしょうか。
 今回は、僕が今まで経験していた”緊張”についてお話しさせていただきます。この記事を読んで、僕という人間をリアルに感じて欲しいと思います。もし同じ境遇の方がいらっしゃるならば、「悩んでいるのは自分だけじゃない」と思っていただき、少しでも心を軽くしていただきたいと思います。
 また、筆者は自分の”あがり症”のことで、お医者さんに相談したこともなく、診断結果が出たわけでもありません。インターネットで調べた結果、自身の症状が”あがり症”に該当していたため、このような表記とさせていただきますことをご了承ください。

 では、今回もどうぞ、お楽しみくださいませ。



”現在”と”過去”の緊張に対するイメージ

【現在】良き好敵手(ライバル)

 僕の趣味のひとつは、音楽です。中でも、弾き語り(アコースティックギターを演奏しながら歌うこと)でライブに出演すること。人前に立って自分の演奏・歌を聴いてもらう。今はカバー曲が多くを占めるが、今後は自ら作詞作曲した音楽を披露したいと思っています。
 ライブだけでなく、カラオケバーに行って見ず知らずの人に紛れて歌を歌うのも好きです。お酒を飲みながら歌う人の声を聴くと、ついつい心を動かされてしまいます。(泥酔した人の歌は、心ではなく耳に否応なく響いてくるので苦手なのですが・・・)「素敵な声ですね」「お上手ですね」と互いを褒め合う環境があるのもカラオケバーの良いところで、気づけば時間が経っていた、なんてこともあります。

 上記の文章を読んだ方は、「この男は本当に”あがり症”なのか」と疑問を感じたかもしれません。正直に言うと、僕はいまだに緊張します。
 
ライブ会場やカラオケバーは、知らない人がほとんどです。「コード進行を間違わないだろうか」「相手は僕が歌っているのを聞いてうるさくないだろうか」「下手くそだと思っているだろうか」。そんな考えが巡るものだから、スポットライトに当たる直前や、カラオケのデンモク(タッチパネル式の予約リモコン)で歌う曲を予約する直前は、今でも心臓が高鳴ります。
 本番が始まる。しっとりと手汗をかきながらマイクを握り、MCをしながらお客さんの顔を見て雰囲気を探ります。そして用意していた曲を歌う。笑って手拍子をしてくれる人が多くなってくると、緊張はどこかへ行ってしまう。が、ミスをしたりお客さんが盛り上がっていないと緊張し始める。そんなやりとりをしていると、すでに歌い終わっていて拍手が聞こえてくる。「よかった」と胸を撫で下ろす。

 僕の心の中で緊張が出入りしている様はまるで、隙を虎視眈々と狙う棋士かのようです。しかし僕は緊張を良き好敵手だと思っています。進行がうまくいけば、緊張なんてどこかへ行ってしまうのだから、緊張に負けず頑張れば良いだけ。今では、緊張とのバトルすらも”楽しんで”います。小学生の時に怖かった父親が、社会人になった今では老いて小さく見えるように、緊張もまた少しずつ小さくなっているような気がします。

【過去】言い返すことができない上司(ボス)

 僕が一番最初に”緊張していること”を意識していたのは、保育園の年長時代にあった運動会だと認識しています。自分が参加しないといけない演目や競争種目が近づくと、喉元がキツくなってきて胃から”何か”が逆流してくる。気づいたら息をしていないことに気づき、一生懸命深呼吸を行うが心臓の高鳴りはさらに早まる。運動会のアナウンス、声援、入場用BGM。全てが僕を急かしているような感覚に陥る。その時にはもう”何か”はすでに喉元まで上がってきており、トイレで吐き出す。全て出たものの、ぐったりした状態で演目や競争種目に参加したところで、十分な結果は出るはずもない。

特に徒競走が一番嫌いでした。両親に見に来てもらうことすら嫌でした。

 それからと言うものの、学芸会や運動会などの人前に出ることに対して、極端に苦手意識を感じ始めました。表現が苦手だから、という固定観念が生まれてしまったから。本当は、緊張したことでパフォーマンスが低下しただけなのに。そうやって、自分に自信がなくなっていきました

 それからと言うものの、人前に出たり話したりする行事があるたび、そこから逃げるような考え方をとるようになりました。その行事の中で何か成し遂げようとすら思わず、ただただ地味に過ごすこと。目立たず普通にすること。それだけ考えていました。しかし当日はやってくる。当然、気持ちが悪くなって吐き出す。ぐったりした状態で本番を迎える。その繰り返しでしかない。

 僕は緊張という上司に支配されながら、様々な行事を仕事のようにこなしてきたんです。仕事の質は良くないが、「参加する」というノルマは達成している。ただその場にいるだけで、その仕事は何事も無かったかのように過ぎ去っていった。残っているのは、口に残る胃液の酸味だけだった。

なぜ”あがり症”だったのか

【考察1】成功体験を実感できていなかった

 僕の幼少期の性格は内気で引っ込み思案でしたから、人に表現するということについて得意ではありませんでした。運動が得意だったわけでもなく勉強ができたわけでもありません。
 そんな僕にも成功体験は転がっていました。例えば、学校内の習字の大会で毎年金賞を取ったこと。数少ない成功体験ですが、心の中では「みんな練習したら金賞は取れる」と呟いて、自分を過小評価していたのです。
 せっかくの成功体験を自分の糧として認識できなかったため、「自分には何もない」という根拠のない意識が生まれてしまったのだと考えます。

【考察2】自信が無かった

 根拠のない過小評価によって、自信が生まれませんでした。先述した運動会のエピソードを読みながら思い返してみると、「何がなんでも1位を取らないと行けない」という”順位に対する焦り”では無く、「この場をどうやったら当たり障りなくしのげるか」という”その場しのぎが成功するかの焦り”だったと思います。
 向上心という言葉は、当時の僕の辞書には無かったのかもしれません。そもそも自信を必要としない生き方をしていたのだと思います。「他の人と同じようにしないといけない」という人間(日本人特有?)の協調性が、悪い方に働いていたのかもしれません。
 そんなことだから、当然のことながら、自信なんてあるはずもありません。自信を生み出す気も探す気もない。僕は、”誰かのゲームのNPC(ノンプレイヤーキャラクター)”=”脇役”を自ら選択していたのだと思います。

【考察3】固定観念に負けて諦めていた

 先述した考察1の「成功体験を認識していない状態」と考察2の「自信を持つ意識が無い状態」によって、とある固定観念が生まれました。それは、「自分はどうしようもない人間だ」ということ。言語化していなかったものの、幼少期ながら無意識の中で思っていたはずです。その固定観念をどうにかしようなんて思うはずもなく、僕はその考え方を受け入れてしまい、新しいことを自ら挑戦することを諦めてしまいました。しかもそのハードルはとても小さかったはずです。少しの頑張りで乗り越えることができたはずなのに、それを諦めてしまっていました。
 今だから言えることですが、もしそのハードルを、少しずつでもいいからゆっくり乗り越えていれば、もっと違う自分になっていたのではないかと思います。

おわりに

 ここまで書いてきて言えることは、”あがり症”となった原因は考え方や意識の問題ばかりであったということです。もちろん、生活環境や身体能力も要因として挙げられると思います。しかし、それを要因として捉えてしまうこと自体が、自分の”あがり症”をさらに深刻化させてしまったのかもしれません。
 逆を言えば、考え方や意識の転換で良い方向へ向かっていく、ということです。この”あがり症”を克服できた出来事があったのですが、その体験をしたことによって、”あがり症”という苦手意識が溶けていきました。この話はまた別の記事でお話ししますが、その瞬間、心の底から「楽しい」という気持ちを初めて感じることができたと思います。
 この記事を読んでいる”あがり症”で苦しんでいる方々に少しでも寄り添えるように、そして自分の記事で共感していただき、そんな方々の身を軽くできるようにと願い、次回に向けて執筆を続けていきます。更新頻度は少ないですが、内容の濃いものにしていきますので、どうかお付き合いくださいませ。
それではまた。

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