遠くの友人を思いながら

※5月に書いた文章です。

世界は狂っている。
人間は度し難い。
ずっとそう思ってきたし、今もそう思っている。
人間なんて滅びてしまえと思う。
現に人間は滅びに向かっているようにも思う。
こういう大きい話の中で、僕は世界とか人間という大きい主語を使い、そこへの怒りや憤りを述べるわけだが、実際にはそんな簡単なことではない。
そうやって実際に狂った世界が滅びる時に、目の前で失われていく命があるという現実をどれだけ自分が受け止められるのか。
その現実とどれだけ闘うことができるのか。
それは常に問われることだといつも思っている。

バッファローで乱射事件が起きた。
現場は、僕らが暮らしていた所から歩いて行けるくらいの場所だ。
こうした銃撃事件のニュースには何度も接することがあったが、こうして自分が暮らしていた街、友人や知人がたくさん住んでいる街で、こうした事件が起きたことはとてもショックである。
世界や人間が狂っているからこそ、こうした事件が起きる。
それがわかっていても耐え難いし、受け入れることはできない。
どうしてこんなことになってしまうのか。

人間社会の発展の結果、戦争が起きる。
経済を追求し速度を上げていく結果、パンデミックが起き、自然災害が起きる。
行きすぎて壊れてしまった思想の結果、無差別な殺人事件が起きる。
それが暗い未来予想であったり、冷徹な分析であったりするのはその通りなのだが、その分析通りに現実が進行していく結果、そこでは多くの命が奪われていくことの重さ。その耐え難さ。

大きい主語の中で訳知り顔で安っぽいニヒリズムに身を浸すだけの人間。
ただ怯えて考えることを止めて他人に自分の人生を丸投げするような臆病な人間。
そんな腐った泥沼に逃げ込む人間にはなりたくない。
結局、自分の人生を全うしようと思えば、常に悩みと葛藤と苦しさがつきまとう。
それはどうやっても避けることはできない。
それを引き受ける覚悟があるのか、と問われている。
いや、もう既に突きつけられている。
逃げることはできない。引き受けるしかないのだ。

今日は静かにバッファローのために祈りたい。
(2022.5.15)

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