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4年を経て、アメリカ⑤

荷物整理のために急遽アメリカに飛び、生き別れていた機材や家財とも感動の再会をしました。思い立ったように地元のライブハウスにブッキングのお願いをしてたった半日ほどで全て決まりました。そんなライブの日のお話を。

僕らがアメリカで暮らしていた数年間というのは、音楽だけで生活の糧を得て生きていくという日々でした。最初のツアーこそレーベルにサポートしてもらったり、ツアーマネージャーに同行してもらったり、色々教えてもらいながらでしたが、徐々に自分たちでライブやツアーの手配をするようになっていきました。
なぜか。
稼ぐためです。
当時の僕らにとってはライブをすることが仕事です。ライブをするとお金が入ります。だからできるだけたくさんライブをする。週に5日はライブがやりたい。そうなってくるとブッキングエージェントやレーベルに頼んでいる場合ではなくなります。ネットで調べて連絡、連絡、連絡。それが日々のバンドの業務になっていました。地元のバーにも片っ端から連絡して演奏できると聞けばすぐに出かけていきました。大変だったけどとてもタフになりました。思い出話になってしまいましたが、そもそもそれが成り立つのは「演奏する者には少しでもお金を払う」というのがデフォルトであるのがアメリカだから、ということです。日本ではライブハウスのノルマ問題が定期的に議論になっていますが、 ライブやミュージシャンに対する思想が根本から違うのだよなと思います。それについてはまたいつか。

話は逸れましたが、そんな風に暮らしてきたのがバッファローという街でした。
たくさんの友人知人ができました。今回演奏したMohawk Placeというライブハウスも何度も演奏してきた馴染みの店でした。ブッキングをしてくれたMartyに感謝でした。そして車がなくなってしまった僕らの機材を友人のTroyが運んでくれました。機材を運ぶといってもドラムセットからギター、ベースのアンプ全てです。この作業は何度やっても大変ですが、こういうの懐かしいなあと思いながら車にぎゅうぎゅうに詰めて会場に向かいました。入り時間もふんわり決まっていてリハもないので店が開くくらいに行こう、というアバウトなものです。日本とアメリカのライブハウス事情は全然違うんだね、とも言えますが、要するに大事にしている部分が違うということなのでしょう。最低限のことが成り立っていれば後は自分たちの自由にやればいい。そんな感じでしょうか。

店に入ると次々と懐かしい人たちに会いました。
みんなとハグして挨拶して楽しい時間でした。お客さんもたくさん来てくれました。みんな「僕らのライブを何年前にどこそこで見たよ」とか「前に買ったTシャツを着てきたよ」と僕らに見せてくれたり、思い出話をしてくれたりとライブ前から楽しい雰囲気でした。Green Schwinn、Velvet Bethany、Soul Butchers という3バンドが対バンでした。どのバンドも何度も一緒にやったことのある地元バンドです。みんな僕らが戻ってきたことを喜んでくれて一緒にライブをやることを本当に楽しんでくれていました。感謝しかありません。平日の水曜日の夜遅い時間なのにお客さんもたくさんきてくれました。
ステージに立った時の感覚も独特でした。ああ、またアメリカでライブができるんだ、とちょっと感傷的になってしまいましたが、機材がちゃんと最後まで音が出るかなと心配になると急に緊張したりしました。その心配は杞憂でしたが。

楽しい時間でした。皆僕らの音楽を全身で受け止めてくれていました。
僕らの演奏も4年前より上手くなっているという自負もありました。
コロナ禍でも僕らは、結局練習したり演奏について議論したりということばかりやっていました。苦しくもありましたが演奏は確実に変わったという自信もありました。
ライブは最後まで愛に溢れた雰囲気とロックンロールな盛り上がりの中で無事終えることができました。僕らは彼らにとって4年半も街におらず見かけることもなかった異国のバンドです。もう忘れられていても不思議はありませんでした。実際、もう忘れられているだろうなとも思っていました。ところがその日の夜に目にしたのは、僕らを待ってくれていた人達でした。こんな嬉しいことが他にあるでしょうか。本当に、ただただ、嬉しい夜でした。
お客さんがたくさん入ったおかげで、急なブッキングに対応してくれたMartyやお店にも恩返しとお礼ができました。深夜まで手伝ってくれたTroyにも感謝しかありません。とにかくここアメリカでは僕らが多くの人たちに支えられていたからやってこれたのだよな、と何度も何度も感じたことをまた改めて感じることができた夜でした。それは絶対に忘れてはいけないことなんだ、と強く胸に刻みました。

心地よい疲れの中で、宿に戻ってから差し入れでいただいたピザを食べました。アメリカらしい巨大なピザです。何を見ても何に触れても「ああそうそう、これだった」という1日でした。クタクタになって時差ボケも吹き飛ぶくらいぐっすり眠れました。

続く

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