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時間を大切にするということ

時間を大切にする、というのは、時間を節約するということではない。常にショートカットを駆使してなんでも効率的に行い、分単位で空いた時間を作って細切れの時間をかき集めて、ちまちまと時間管理をすることが時間を大切にすることではない。そんなケチ臭い話ではない。全く違うと思う。

時間を大切にするというのは、もっと大きな時間の流れに身を置くということであり、そうした時間に身を置けるかどうか、ということだ。今というこの瞬間に身を置きながら、過去にも未来にも飛んでいく。大きな時間の流れの中に体を浮かべて、その流れを俯瞰して超越するような感覚をもち、味わうことが「時間を大切にする」ということだ。それは簡単ではないが、そんなに難しいことでもない。僕は、現在のこの瞬間に存在しているが、同時に過去にも未来にも存在している。奇妙な言い方だが、そんな表現が一番しっくりくる。
人間が、社会を維持してうまく回すために枠組みを作り、制約を設け、楔を打ち込んでいく結果生まれた「時間」など、本当は最優先されることではない。社会やシステムを維持し機能させるために、人間は「空間」や「時間」に様々手を加えてきた。便宜的に作っただけだ。確かにそうした時間の決め事がなければ、誰かと会う約束もできない。人と関わっていくには共通の決まり事としての時間は大切だ。でもそれだって「じゃ明日の夜明けに」とか「明日の昼に」くらいの決まり事でも本当は十分なのかも知れない。
そんな世捨て人のような暮らしなんてできるわけがない、と言われるかも知れないが、そんなことをしようと言っているのではない。僕自身、今更言うまでも無く、現代の社会のシステムにどっぷり浸かり恩恵も受けている人間なので、システムとしての時間を否定できるような立場ではない。時間を細切れにして、その量をただただ増やすためだけにあくせくしているような生き方には疑問を抱かずにはいられないだけだ。時間ってそういうものだったっけ?という疑問が湧いているだけだ。

時間の本来のあり方を思い出すこと。時間を大切にするということは、その大きな流れに贅沢に浸ることなんじゃないか、と思っただけだ。時の大きな流れを意識するのは難しいことではない。
ただぼんやりと街を眺める。
ぼんやりと景色を眺める。
音楽に身を委ねる。
芸術にどっぷりと浸る。
そうしているうちに、自分が今ここにいることに気付かされ、自分の意識は遠い過去にも、遥かな未来にも飛んでいく。ただ、ここにいるだけなんだな、と思う。
過去には別の場所にいた。未来にもどこか別の場所にいる。
一つの大きな流れの中の一つの瞬間。
記憶とは過去の記録、というのもただの思い込みかも知れない。
現在の記憶、未来の記憶がある。
この瞬間の思い出。まだ見ぬ過去。懐かしい未来。
タイムマシンで肉体が時間を旅することはできなくても、頭の中の意識は、結構簡単に時間を飛び越えて自由に飛んでいく。そんな感覚。

SFじみたことを言っているが、僕はわりと普通にそう思っている。
僕がSFを好きなのも、そのストーリーや作者が抱いている「時間を飛び越えていく感覚」に共鳴しているからかもしれない。
時間を今のシステムの中に繋ぎ止めて閉じ込めるのではなく、もっと無限の感覚に開いていくこと。時間を忘れるくらいぼんやりして、時間を飛び越えていく。
それが僕にとって時間を大切にしている、ということなのです。

(2022.3.6)

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