見出し画像

生きていることって、花なのかも知れない。

あの時「イケる!」と思ったのは東京での訪問入浴の経験があったから
お風呂の横に梅や桜の花を持っていき寝ながらの花見。
入ってもらったおじいちゃん、おばあちゃんたちの
表情が言葉が仕草があったからすぐに「イケる!」と返事ができた。

・・・

最期の最期に花見をしたよ… 感謝。感謝。ありがとう。-5 2

亡くなる少し前、職員の何気ない一言で始まった。花見。
「やらないといけない仕事がある」そう言って
オムツ交換に歩いていたらこのやりとりはできなかった。

「今の状況じゃ外に連れて行くことは難しい」
花見=外で見るものの、理解では動けなかった。
東京での経験が花開く瞬間(やっててよかった花見風呂)

介護職員と呼ばれる我々の仕事は介護だ。
花を買いにいくことが仕事ではない(って普通の人は思うだろう)

仕事=介護なんだけど
介護=介助ではない。
介護=ケアでもある。

ケアって「気づく」と言う意味もあるらしい。
ということは花を買いにいくことも我々の仕事なのではないか
仕事で動くと言うより「気づいて」動いた。
それが仕事時間ないだった。こんな感覚・・・


職員がボソッと言った言葉に気づけた自分。
イケると思った自分。それができたのは日常的に
目の前にいるおじいちゃん、おばあちゃんの表情や声量、
声のトーン、仕草に何万回も触れて
「気づく」力が身についている証。

花見とおばあちゃんとお嫁さん-2 2

このおばあちゃんは花見をすることで
最期の力を振り絞ることを決めた。
「家に帰りたい」
いままで何回も喉まで出てきていた言葉が出た。
体を頻繁にお越し「帰ります〜」とこちらに言った。

花を見て力を絞ったのか、花に魅せられ、力を絞ったのか
それは本人にしかわからない。


けど、振り絞った力に気づくこと。
気づいたことを形にすること。動くことは
我々、介護職員の仕事(役割)だと思う。

#看取り本こんな感じで作ってます
#作成風景

と題して本を作っています。

本の詳細は「介護施設で最期を迎えた人に本を贈りたい。」にて



ありがとうございます! おいしいものを食べて、エネルギーにします!!