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お嫁さんに本を贈った日。

先日、最期を迎えたおばあちゃんのお嫁さんをお招きしての話し合い。
お嫁さんからの言葉は「満足」から始まった。
「おばあさんの最期の最期までここの人が寄り添ってくれた。
一緒にごはんも食べれた。家にも帰れた。幸せだった。」
人が生きること。食べること。笑うこと。家に帰ること。
施設で過ごすこと。一緒にいること。独りで過ごすこと。みんなで過ごすこと。
人には人が関わっている。
人はいつか、死ぬかもしれない。ただ、関わりは決して消えない。
先人たちの最期に次世代が共に関わることはできる。
人に関わることをもっともっとやっていこう。
僕らは高齢化率、日本一の秋田県で人と地域に関わっている。誇りに思う。
どれだけの想いがこもった日々を共に過ごせているか。

感謝。感謝。ありがとう。
おばあちゃんが良く言っていた。
そのまま、この言葉を返ししたい。
感謝。感謝。ありがとう。

お嫁さんの涙-7

お嫁さんの言葉-8

「満足」この言葉が全てだ。


家族が亡くなった後はどうしようもない焦燥感になる人がいる。
「もっとああしたあげれば良かった」「ここに連れて行ってあげれば」
悔やむことは悪いことではない。「だったらもっとしてあげれば良かったでしょ!」
誰もそんな強い口調でお嫁さんを責め立てる人はここにはいない。
おばあちゃんにはおばあちゃんの、お嫁さんにはお嫁さんの人生がある。
嫁と姑。人に比べて重なることが多い人生。ひとつ部屋の下で過ごす時間。

おばあちゃんはお嫁さんを心底慕っていた。好いていた。
家に帰った2時間弱、初めの1時間はお嫁さんの話をずっとしてた。
「この人は本当に私のことを良くしてくれた、血も繋がってないのにすごく良くしてくれた。あの時も、この時も・・・」施設では話さない話が次から次へと
施設はどこまでいっても施設。外の世界…一度自分の家の玄関を跨いだ時、人は素に戻る。

終わりの1時間はおばあちゃんの旦那さんの話
「それじっちゃんは私の連れなんだけど、本当にダメな人で。働いてもすぐ飲みに行くし。なくなれば私のところに来て銭んこせがむし、早くいなくなって本当に良かった」
施設では聞いたことない旦那の話。しかも悪口200%笑。みんなも初めは引きつっていた笑いも「んだ、んだ。そいだばじっちゃんが悪い!」と肩を組みながら話を聞いた。

あの発言、あの時間はきっと、施設では出せない。ってか出ない。
自分の家だから出る素の表情、言葉。

家って良いよね。

本を渡した後に研修を受けた職員とお嫁さん、
そして画面にニッコリ笑ったおばあちゃんの写真を写して
記念撮影をした。お嫁さんの目は真っ赤に腫れていたけど
どこか充実感があってどこが晴れやかな気分かのように
スッキリとした顔立ちだった。

本を贈る意味がここにはある。

ありがとうございます! おいしいものを食べて、エネルギーにします!!