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日本へ帰ろう 猫つれて:人生の旅人

日本へいつか帰るか?米国に骨を埋めるか?
これは大方の米国に移り住んだ永住権のままの日本人が一度は考えることだと思う。
私もそれに答えがでないままほぼ30年ここに住み続けていた。
明確な答えはでないまま、日本へ…という思いへの比重が傾いているのは気が付いていた。
ただ、じゃあ帰ろ!というきっかけや強い思いはやはり無いままだった。
だけど、まだ少し後ろ髪をひかれつつ日本へ向かっていく自分がいるのに気づき、迷いながら 期待しながら悩みながら、そんな自分が流されつつ決意していく日々をNOTEに徒然と書いていこうと思う。

一概に帰国といっても、留学生や駐在層と違い、あまりにも積み上げたものが多い永住組。留学生ならアパートを引き払い、駐在組なら大概の事は会社に相談して幕引きができる。(もちろん長期の方はそれなりに多くの処理があると思う)少なくとも相談できる先輩や同僚がいるというのは心強いのではないかと思う

引き換え 自分のような永住組は持ち家があれば持ち家の売却、 猫との帰国問題(ペット問題)、お金の問題、米国銀行口座の問題…ありとあらゆる事が謎であり、クリアしていく問題で、周りに経験者はいないし、相談できる人もほとんどいないのが実情ではないだろうか。 それだけでやっぱりここに骨を埋めようかなと思わせる。
それが理由で帰国を辞める人もいるだろう

日本への帰国を具体的に考え出した理由はいくつもある。
その中で比較的影響したのはパートナーの考え方が大きいかもしれない。
私のパートナーは10歳ほど年上で、気質もバックグラウンドもほぼ正反対に近い。
全ての事は前もって決めて安心しておきたい私と、何かおきればその時に対処していこう、良く言えば今は今で今を生きようというパートナー。
日本へ帰るにあたり、「老後」「終活」と今のメディアに煽られたような思考の私に対し、こう言った。

「俺は君のいう『終活』とかで日本に気持ちが向いているんじゃなくて、アメリカで自由に生きられる限界を感じているんだ。後10年ほどで体がついていかなくなった時に、俺は果たしてここで楽しくやっているのかと思った。
今のような暮らしを10年、20年続けて幸せなのかなっていう話なんだ」

数年前についに思い描いていたようなパーフェクトなタウンハウスを購入し、それまでのレントの上昇問題、アパートのルール問題、マネージャーとの確執(最後の大家さんは最高な人だったけど、あまりにも人の出入りが多くプライバシーや静けさに問題があったり、嫁はんが結構難しい人だった)など、多くの問題が片付いて安心できたばかりだった。

だが、と同時に、後述するが ずっと続けていた音楽活動の停止もあって
こんな完全な環境なのに心がうまらないように感じていた。

そして思い出したのは、忘れていたけれど、いつも旅をしていた。
違う場所で違う文化に触れて、それが楽しかった。
直近10年は国内旅行もすることは無く、旅をする事を忘れていた。

Cliché(クリシェ)になるけれど、人生が旅ならば
そこでの生活はその駅、その土地での生活。
その場所を愛していれば、そこで人生を終えるのも幸せだろう
だけど そこにいることが愛では無く単に理由のある事ならば、その場所に固執することもないんじゃないか。
残りの人生をステージを移して…次の到着地があってもいんじゃないか。
一つの場所で、ひとつの事で人生を終えるのも、
いくつかの駅で立ち止まって暮らして、経験値を加えてみるのもいい人生なのかも…とパートナーの言葉が思わせてくれたのだ。


ただ、その時は思わなかったし、知らなかったのだ。
住みつく時以上に米国を離れるということが大変なのだということに…








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