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柚緒駆
2018年12月31日 12:19
第22話 刀鍛冶 朝は良く晴れていた。まだ太陽は出ていないが、星がきれいだ。空気はしんしんと冷え込んでいる。宣教師と共連れの二人は紀州街道を南に向かった。「今日ハ水間寺ニ行キマス」「有名な寺なのですか」 忠善は、眠気など微塵も見せずに提灯を持って先を行く。朱色の着物と白袴を纏うこの希代の剣士には、隙というものがまるでなかった。「山深クニアル古イ寺デス。カナリノ勢力ヲ持ッテイルト
2018年12月30日 12:37
第21話 雪に椿 雪はまだ音もなく降り続いているものの、積もってはいない。庭の土は溶けた雪を吸い込んで重くなっている。孫一郎は本願寺に居た。卜半斎の部屋の前、広い縁側に一人座っていた。卜半斎に頼み事が一つあるのだ。しかし執務中ということもあり、後ほど出直すようにと海塚には言われたのだが、孫一郎は待つ事にした。他に仕事がある訳ではないし、何より鉛色の空を、雪降る空をここで見ていたかった。 雪
2018年12月29日 11:19
第20話 死者の挨拶【顕如の日記】天正十一年十二月二十二日 昨夜は岸和田で酷い夜襲があったそうだ。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。根来の門徒の仕業だと岸和田では言われているそうだが、本当だろうか。秀吉公を無闇に刺激するのはやめて欲しい。巻き込まれる者の身にもなってもらいたい。 今日は雪が降っている。寒さもひとしおだ。雪と言えば、岸和田城の雪姫さまが本願寺で静養されるという。卜半斎が勝手
2018年12月28日 12:20
第19話 雪降る空 甚六が小瀬の惣堂に戻ったのは、深夜日付の変わる頃。与兵衛は松蔵からもらった握り飯を残しておいてくれた。握り飯といってもヒエやアワの混じったものだが、一日何も腹に入れていなかった甚六にとっては、何よりのごちそうだった。この飢饉の広がる折に、いったい松蔵は何処からこんな米を仕入れてくるのだろう。疑問ではあったが、その問いは封じていた。今はそれより優先すべき事がある。「親父が
2018年12月27日 13:59
第18話 夜襲 夜の海。茅渟の浦曲に月はない。とうに沈んだ後である。岸和田の町にはまだ灯りがともっていたが、浜に近い漁村の家々はもう真っ暗であった。その暗闇の中、家から出てきた男の子が一人。年の頃なら十かそこいら、小便に出てきたのだ。だが寝ぼけ眼で何気なく海を見たとき、彼はその目を瞠らせた。そして慌てて家に駆け込む。「父ちゃん、父ちゃん」 寝息を立てていた父親は薄目を開けたが、すぐに閉
2018年12月26日 13:28
第17話 ルーツ 父と母は、かけ落ち同然の結婚をしたらしい。そのためか親戚とも疎遠で、両親が事故で亡くなったとき、最初に駆けつけてくれたのは、血縁の誰でもなく博士だった。「我が輩はドクター・ボルシェヴィキ。キミの父上の同僚だ」 会った日に博士の口から聞いたのは、その言葉だけ。お悔やみも慰めもなし。自分の研究以外の事は、挨拶すらろくにできない人だと気付いたのは、ずっと後の事だった。
2018年12月25日 13:12
第16話 良い提案「七人か」 日の光も直接は届かない、山の中にある小さな滝。壁面につららが並ぶ間を水が落ちるその滝壺に、服部竜胆は一糸まとわぬ姿で身を浮かべていた。黒い幽霊のような影が、そのほとりに片膝をついている。「はい、七人にございます」 影はうなだれていた。「私が和泉と紀州を往復した、たった一日の間に七人消えた。どういう事だ」「おりんさま、申し訳ございません」「謝
2018年12月24日 13:15
第15話 雪姫 天守のない岸和田城の、本丸にある屋敷の最深部、離れの一番大きな部屋が雪姫の寝所であった。細身の与力、河毛源次郎に連れられて、アーチ状の渡り廊下を歩いていたナギサたち一同だったが、その足が急に止まった。雪姫の寝所から、老女と言うにはいささか若い女房が出てきて、こちらに向かって頭を下げたからだ。いかにも来訪を知っていたという顔である。ナギサの不審に、振り返った卜半斎が答えた。「
2018年12月23日 11:06
第14話 遭遇 甚六と与兵衛を助けたのは、久保村の松蔵という男であった。昨夜は出先から村に帰る途中だったという。松蔵に勧められ、甚六と与兵衛は深夜のうちに、小瀬の惣堂に戻った。村の決まりで余所者は泊められないが、惣堂にいる限りは食い物なら分けてやれると松蔵は言ったのだ。「だがこの辺も飢饉で大変なんじゃないのか。食い物までもらう訳には」 遠慮する甚六に、松蔵は怒っているのか笑っているのか
2018年12月22日 10:33
第13話 手土産【顕如の日記】 天正十一年十二月二十一日 昨日は旅人が本願寺を訪れたらしい。会津の蘆名家から丁寧な書状をいただいた。だがその旅人を卜半斎が帰してしまったという。会いたかったのに。あの男は優秀だが、こういう所で気が利かない。 卜半斎といえば、今日は岸和田城まで出かけているとか。中村殿に失礼がないと良いが。中村殿への非礼は秀吉公への非礼に当たる。それだけは勘弁して欲しい
2018年12月21日 13:28
第12話 死人の兵「マーダ見ツカラナイデスカ。モウスグ朝ニナリマスヨ」 さっきから宣教師は、ぶつくさ文句を言っている。だが、ただでさえ闇の濃い牛滝の山中である。人手は五人居るとは言え、提灯一つの灯りで死体を探すなど、どだい無理な話に思えた。「光が見えたのは、この辺りで間違いないのか」 忠善は提灯を左右に振りながら、熊のような裸の大男にたずねた。男の名は熊三という。まさに名は体を表す
2018年12月20日 13:33
第11話 電磁トラップ 青い火花と破裂音。激しい放電の音と光にナギサは飛び起きた。「何なの?」 視界の隅で緑色のこびとが踊る。「何なのじゃない。キミが寝る前に仕掛けた電磁トラップに、誰か引っかかっただけだと言えるね」 ピクシーにそう言われて思い出した。海塚を信用していない訳ではなかったのだが、万が一の事を考えて、部屋の入り口付近にトラップを仕掛けたのだ。金属製の刃物を持ったまま
2018年12月19日 14:10
第10話 天狗娘 その力が目覚めたのは、六つになったばかりの頃。折から続く日照りで、田圃も川も涸れ果てたとき、少女は天を指さしてこう言ったのだ。「明日、雨が降るよ」 翌日、本当に雨が降った。そしてその雨が、今度は三日降り続いたとき。「堤が崩れるよ」 その言葉通り堤は崩れ、川は氾濫した。 これがきっかけとなり、城下の人々は噂を口にするようになった。「吉岡の娘子には、天狗が
2018年12月18日 13:29
第9話 土橋屋敷 紀州雑賀は山と海に囲まれた地方。雑賀荘の土橋重治の屋敷に見慣れぬ町娘が現われたのは、そんな海も山も一切見えぬ、草木も眠る深夜の事。手甲脚絆を身につけ、頭に手ぬぐいを巻き、長い髪を後ろで結んだ町娘。屋敷の門には見張りがいたはずなのだが、誰にも見とがめられる事なく、重治の眠る部屋の前に立った。そして手が襖にかかったとき、内側から低い声がした。「誰か」 町娘は音もなく襖を引