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=読書感想文=森山大道 路上スナップのススメ (光文社新書)

最近、自分の撮りたいものや、テーマが見えなくなってきて、写真について悩んでいました。

そんな時、図書館の写真コーナーでこの本を見つけました。

写真のテーマを探している人、写真について迷っている人。
写真に限らず、人生のテーマを探している人におすすめです。

–この読書感想文の読み方–

本の中から、気になった言葉(文章)を引用しています。「 」の部分です。本を純粋に楽しみたい方は、ここを読まずに本を入手されてください。
「→」は、私の感想です。

読んだ人によってそれぞれ心に刺さるポイント、文章が違うと思います。
読んで見たいと思ったら、実際に読んで、再びこの文を読んでいただき、
私の着眼点との相違を楽しんでもらえれば幸いです。

そして、あなたの新しい発見や問題の解決のヒントになったら嬉しいです。

–スタート–

「現在ほとんどの人がカメラを持って街をスナップできる状態である。しかし、ほとんどの人が日常しかとっていないでしょう。つまり、基本的に異界に入り込んでいない。でも、街のはいたるところは異界だからさ。街をスナップするってことは、その異界を撮るってことなんだよ」

→冒頭のこの文章は、ちょっと難しい。表面だけしか撮っていないと言いたいのかな?それにしても、異界って、、、異界とは、人間が周囲の世界を分類する際、自分たちが属する(と認識する)世界の外側。異世界。(参照wiki)。自分と違う世界、自分以外の存在ということか?もうちょっと読まないとわからない。

次に、その異界を撮る方法が書いてある。

異界を撮るには、「最も大切なのは欲望だね。撮る本人が、その時、その瞬間に抱えてる欲望。それを持っていないと、見ることすらできないから。そこで見つけたものをスナップするんだから。とある物体を撮りたくなる一瞬の欲望、女性をふと撮りたくなる欲望…欲望っていうのは本当に数限りなくあるはずなんだ。だから自分自身が欲望に忠実な、欲望体となってスナップしないと面白くないし、そもそも意味がないんだよ」

→異界は、その対象をスナップしたいと思う欲望がないと見えないらしい。スナップしたいと思う瞬間は、街を歩いているとたくさんある。素敵なカップル、老人、子供たち、それらの人が溶け込む街の風景。これが異界なのか。。。

「まず、どのようなスケールの商店街にしても、また、人間が多かろうが少なかろうが、人間と商店街との絡みを、やっぱり基本に撮っていくということ。それともうひとつは、商店の店頭に並べられている品々や、それから建物の一角に貼ってある多くの広告部類にもきちんと目を向けること。ただ、通りや買い物客を漫然ととるだけじゃなくて、必ずそういったいろいろなものを、しっかり見ること。」

「商店街を撮るときは必ず往復すること。それは行きと帰りでは、大体光線が逆になるかな。見えてくるものが違うんだよ」

「もし急いでいて、往復することができない場合は、必ず振り返る。」

→これは納得。商店街を撮っていて楽しいのは、行きも帰りも楽しいし、細かいディテール全てが楽しい。そして、そこに人が絡んだらもっと楽しい。自分の琴線に触れたらシャッターを切る。または、ここにこの人が来るだろうと予測して、全てを準備して、待つ。商店街フォトは、ハンティングでもあり、釣りでもある。
 しかし、これは人生にも言えるかもしれない。過去を振り返ってばかりではなく、前に進まなくてはいけないというケースをあるが、ある程度進んだら、後ろを振り返る。周りを見る。時には、ちょっと戻って見る。自分で正しく進んでいるつもりが、潮に流されて、知らないところに来ていないか確認する必要がある。

「自分の日常で辿っている道を、まず徹底的に撮ったほうがいい。それはスナップの訓練になると同時に、自分の生活を含めた中で、見えてくる自分自身の視覚みたいなもの探していく作業になるから。だいたい商店街一本しつこく撮れば、スナップのレッスンにとどまらず、写真全般のいいレッスンになる。」

→いろんな場所に行って見たい。いろんなことをやってみたい。確かにそうなんだけど、まず、あるもの、身近なものを徹底的にやって見る。これは、自分を探す上で結構大きい気がする。

「何でもよく見てすべてを写せ」
「まず量を撮らないと見えてこない、自分が何を撮っているのかも見えてこない、何を撮りたいのかもわからない。世界も見えないし自分も見えない。」

→これは写真に限らずいろんなこと言える。とにかくやりこんでみないとその世界もわからないし自分のやりたいこともわからない。

写真の圧倒的な強み
「気概もなく撮ったものがともすると数年後、数十年後に撮影者の思惑を超えたイメージとなる可能性を、彼は身をもって知っている。」
「ま、撮っとこうか、なんて軽い気持ちでとったけど。10年ぐらい経ったらね、有り得るんだよ。幸世の人が「これ、いいよね」っていってくれる可能性が。写真はね、その時代、時代の意識で持って、いくらでも蘇生するものだから。つまり、撮らないことには始まらないってことなんだよ。」

→最近そういう作家の写真展をよく見かける。ソール・ライター、ヴィヴィアン・マイヤー、そもそも、フェルメールを始め著名な芸術家は、死後に作品が蘇生していることが多い。描かないことには、撮らないことには、そして、何事もやらないことには始まらない。

デジタルの可能性「当初はね、パッと見て気に入らないとその場で消去する事なんてしたのだけど、 今は見ないし一切消さない。だって後でみたら意外にいいって思えるかもしれないんだから、だから今からデジタルでスナップを始めようとしている人に今撮った物をいちいち見返すな、と言いたい」

「印画紙もフィルム自体もだんだんなくなってきて、もう無理だよ僕は、デジタルでやった方が良いと思っている。当然この先もまだ葛藤があると思うけれど。状況が変わればやり方を変えるって言うのは当たり前のこと。その時グズグズ言ったってしょうがないんだから。去る者は追わず来る者は拒まずだよ。」

→次から次へとやって来る新しいテクノロジー何でもかんでも新しいものを取り入れて、古いものを壊すのもどうかと思うけど、過去のものに縛られて、思考を停止させ、新しいことに挑戦しないのは、どうかと思う。来るものは拒まず、やって見ることが大事かもしれない。

「本当なら、僕の写真集からもCを外したいぐらい(中略)だって所詮コピーなんだから」
「写真とはそもそも現実の複写でしかない。写真にオリジナリティなど求めるべくもないのだ」

→なんて潔いのだろう!さすが先生。私なんか、ちょっとよく撮れた写真は、取られたら困るとか小さいこと言って、写真も小さくしてサイトに上げる。このくらい大き構えないといけないのかもしれない。さすが大物写真家。

「自分の欲望に忠実であろうとする、その欲望が集約されるのが、スナップ。撮りたいと感じたものを、ただひたすら撮る。しかしその反面、自分自身に常に問いかける。それを撮ろうとしている自分に。常に葛藤している。」

→まさに人生。写真が人生であり、人生が写真とも言えるストイックな人の本でした。

文中に出て来た気になる本:著者は、60年代末から70年代にかけてもジャック・ケルアックの「路上」に触発されたとのこと。
→読んで見たいリスト行き。

–終わり–

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