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虎に翼 第79回 息苦しさから解放されるには

御茶ノ水の橋の遠景……

登戸の広い空(花火みたいな信号弾の実験…)

新潟篇の、風景の美しさ。
(春、桜が舞い散る場面の挿入は、まあ好き好きだかもしれないが)
駿河台や登戸の風景が印象的だったのと同じように、三条の里山、田圃、地裁支部の前の神社。カメラワークが美しく、見ほれてしまう。

地裁の屋内は木造だけれど、隅々まで鮮明に映し出す、カメラ映像のフィルター、つまりイメージカラーがクールな灰色なのも、外の緑に染まった風景とのコントラストが効いている。見ているだけで心地よい。

航一とのやりとりで、寅子は地方の裁判所での判事のありようについてのヒントを得たようだ。今に始まったことではない。トラちゃんは強運の持ち主なのだ。五黄の虎。少なくとも「道」として選んだ法曹の世界に於いては、話をするべき相手に出会い、きちんと〝その時のトラちゃんでなければ〟という言葉でのやりとりの機会を引き寄せている。優三さんと結婚したことだって、あらゆる意味での寅子の強運だ。

「では、あきらめ悪く、がんばってください」という航一の言葉が、今後の彼女の人生にどれだけの波紋を起こすかはわからない。でも、高瀬の「変わると思ったんです」という悲鳴のような言葉はまちがいなく残る。花江ちゃんの「トラちゃんは何もわかってない」にも通じる怨嗟の言葉でもある。

ああ。「自分ごと」か「他人ごと」かの対比にもなっているなあ。「何もわかってない」「偉そう」と言われてしまうからこそ法という道具を万全に使いこなすことができるのだし、自分ごととして生傷を抉るように染みることほど、簡単に思い出になどなってはくれない。言語化することさえも、とても難しい。

だから家族という「仕組み」は面倒くさい。問題は常に山積み。

極端な話、何もかも、目の前の娘でさえも「血を分けていても他人」と認識できれば、逆に淡々と愛情を注いで、愛し愛される家庭をつくりあげることができる。たいていは「愛」「執着」「責任」といった概念や妄想が面倒のタネになりがち……そこで家父長的な道徳観念が強引に差し込まれるとさらに、ということも多そう。

#テレビドラマ感想文

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