見出し画像

是枝監督の三度目の殺人 インタビュー記事に

2017年にSNSで自分がメモった日記というか。
いま読み返すと、2020年からコロナ禍でまるっと「失われた4年間」を過ごすことになる自分の、あのときから今にいたるまでの鬱々な、極端な言い方をすると2020年の2月頃からまるでヘビースモーカーが言い訳みたいに唱える「緩慢な自殺」をオノレに課している、その直前の2、3年って、やけに勢いがあったんだなあ。自分。あの頃の自分が愛しい。

というか、無意識のうちに「人生の谷底」みたいな大波がやってくることをわかっていて、だからこそあんなふうにあの2、3年をいい感じに走ったのかもしれない。←後付けだけどさ。だから今は、あの頃の自分が愛しいとか透かしたことを言うのではなく、イマココの自分をもっと大事にしないといけない、そう思うべきかもしれないなあ。

インタビューって何だろう。

日本語での質問をフランス語にしてインタビュイーに投げかけるとき、ともかく「ここらへんで応えてほしい」「応えやすいだろう」というあたりを予測して作文し直すことがね。最近はもう、めんどくさくなっちゃってねー。そういうの、インタビューでどうこたえるか、自分のキャラを設定し尽くしてくるひとはたいていその場のプロデュースにこだわりすぎて、たかが宣伝記事にじぶんのオーダーメイドのコトバを出してくる手間をおしむようになる、って印象がある。あるいは、すべては作品から読みとってくれ、というクリエイターには、ひたすら読み解きと賞賛と関係者のゴシップねたとかで褒め殺しにして、気分良くしてしゃべってもらう、というスタイルもあるけどね。

あ、三度目の殺人、近日中に観てこようって思っていて、そのわりにインパクトのある記事がありがたく、うっかり脈絡のないことを書き連ねてしもうた。てへ。

古い手帳から「2017年9月12日」


あなたのサポートは書いていくモチベーションになります。