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マリーは生きているか?伝説のコンセプトアルバム"Jaguar hard pain 1944-1994"

いまから26年前、私が生まれた1994年に発売されたTHE YELLOW MONKEYの3rdアルバム「Jaguar hard pain 1944-1994」というコンセプトアルバムについて。

「1944年に戦士した若い兵士"ジャガー"が、肉体が滅んだことに気付かず、魂だけが時を超え50年後の1994年にタイムスリップしてしまい、祖国に残した恋人"マリー"を探す」
というストーリーの元、全12曲が収録されているかなり珍品アルバムで、
憑依型オタクフロントマン吉井和哉の「デヴィッドボウイの「ジギースターダスト」を作る!!」という野望のもとに、ロックサウンドにあがた森魚・三島由紀夫・美輪明宏等のアングラエッセンスが散りばめられた1994年にしてはかなり異様な作品です。
ライブでは吉井和哉が坊主にジャンプスーツを着てジャガー、黒いドレスを着てマリーの両方に扮して演劇的な演出がされていました。

のちにイエローモンキーは歌謡曲的なポップロックやオルタナティブロックに音楽性を広げセールス的にも成功するけども、精神的な支柱というか洋楽への反骨や昭和リスペクト等マインド部分のベースになっていると思ってまして、
いわばイエローモンキーの「秘伝のタレ」であると勝手に思っています。

音楽的な評価や経緯は散々プロが語られてるので置いといて、ジャガーとマリーそして吉井和哉の物語を中心に1944-2019を。
それは思いつきの演出なんじゃないの〜??なんか盛り上がりそうだからやっただけじゃないの〜〜??という思いは一旦無視して、いちアルバムに留まらない複合エンタメ「Jaguar hard pain」をこじつけます。

雑に曲解説。
1曲目「SECOND CRY」
「ぼくはジャガー たしか殺された ぼくはジャガー あなたの前で」
ジャガーとマリーの物語の導入となる壮大なロックオペラ。ジャガーが銃弾を受けて死ぬ直前、マリーの幻覚を見てます。
そして1994年の東京へ。

3曲目「A HEN な飴玉」
ジャガー、麻薬を覚える。マリーさん探してない。探せや。

4曲目「ROCK STAR」
ジャガー、ロックスターになる。東京たのしいいいい!!たまに夜はスウィート!!!探せや。

5曲目「薔薇娼婦麗奈」
ジャガー、風俗デビュー。
娼婦の麗奈ちゃんにお世話になる。
マリーさんがかわいそうやろがい。

6曲目「街の灯」
「お酒をのんでのらりくらり 恋人探しも楽じゃないのさ」「尋問 連行 仮釈放」
やっと思い出したものの難航している様子。
がんばれジャガー。

8曲目「セルリアの丘」
「可愛い君の影を引きずり 冷たい海に溺れそうな夜は」
引き続き難航している。

9曲目「悲しきASIAN BOY」
突然の躁。こんな明るい反戦ソングはない。
ジャガーの開き直りかジャガーの過去か…?
ジャガーは本来こういう子なんじゃないかと

11曲目「遙かな世界」
「石で性器をつぶしても きみをすきでいられるから」「僕の中に流れてる 血が約束した もう痛くない」
ジャガー…マリーさんへの気持ちを確かめているようです。雲行きが怪しくなってまいりました。

12曲目「MERRY X'MAS」
「こうして会える日をぼくは信じていた」
「真っ白な雪の夜に間近にきみがいる喜び」
ジャガーとマリーさんは出会えたようです。
同時に1944年に魂が還っていきます。美しい…涙

割愛した曲もありますが、
総括するとジャガーは半分くらい1994年の東京に浮かれてマリーさんを探してないんですよね。それが人間らしくもあります。魂の昇華=マリーさんとの永遠と気付き、たっぷり東京を楽しんだのちに1944年へと還っていくジャガー。

さて1944年に恋人が戦死したマリーさんですが、その後の様子はJaguar hard painの前作となる2ndアルバム「未公開のエクスペリエンスムービー」の中の「シルクスカーフに帽子のマダム」
そして4thアルバム「smile」の1曲目「マリーに口づけ」に描かれています。

「シルクスカーフに帽子のマダム」
"ジャガーはライフルであの世行き だから今日からは空回りさ"
"きれいな指のあんたに抱かれたいのさ すぐに忘れるよ あとくされないよ"
''太腿にあるだろう大きな傷が こいつが全部いけないんだよね"
"あたしは今夜フランス行きの船で 好きなリンゴをかじりながら"

ジャガーを亡くしマリーさんはジャガーの幻影を他の男に求め、辛い日々を送っていたようです。

「マリーに口づけ」
"ボンジュールジャポン ボンジュールジャポン"
"彼のような彼女とくり広げる愛のブリリアント"

シルクスカーフでの宣言通りマリーさんはフランスに渡りかなりエンジョイしています。
テンションの差に戸惑うけど…よかったじゃんマリーさん…

ここまでは楽曲から知り得るジャガーとマリーさんの物語でした。
実は当時のライブでは衝撃のオチがあったようです。

1994年12月「Jaguar hard pain FINAL TOUR 94」最終日
ーーマリーのドレスを抱いて「女装が趣味だった」と告白したジャガー。彼が探し求めていた恋人は、鏡の中の女装した自分だったのです。ーーー
(当時のファンクラブ会報より引用)

…えええ

まさかのジャガーとマリーは同一人物。
フランス行きはなんだったの??と。

言われてみればたしかに、MERRY X'MASの歌詞に匂わせている部分があるんですよね。
「雪の夜は離れないで あたしは一人じゃいられないから」
「部屋の真ん中に鏡をおいて君と二人で紅を引くのさ」
巧妙だ…

ここからは辻褄が合うように私なりに解釈した説です。

1. マリー生存説
自分の中の女性の人格に「マリー」と名付け、隠しながら生きてきたジャガー。戦地で太腿に傷を受けたことをきっかけにジャガー(男性)として生きていくことをやめ、マリー(女性)として生きていく。
つまりジャガーの死=男性としての人格の死であり、マリーの中に取り込まれるという意味では永遠。Jaguar hard painはジャガーとマリーという別の人格が1つになるまでなのでは…?つまりマリーさんは生きてフランスに渡っている…と。

2. マリー妄想説
戦地で辛い目に遭ううちに、自分を慰める理想の女性像として「マリー」を演じるようになる。戦地でジャガーとしての自分の肉体が終わる時、愛するマリーも消えてしまう。フランス行きはジャガーがマリーに生きてほしかった物語、という二重構造なのでは…。


しかし物語の真相はわからないまま、
2019年12月28日「THE YELLOW MONKEY 30th DOME TOUR 」名古屋ドーム公演で約25年ぶりに新たな展開を迎えます。

1曲目にジャガーのテーマである「SECOND CRY」を、そしてラストにマリーのテーマである「シルクスカーフに帽子のマダム」を。
坊主でもなければ、マリーさんのドレスも着ていない、そのままの53歳の吉井和哉で演じたのでした。

また、マリーが生まれた経緯について。

「ぼくの中には"不憫な女性達"が居る」
「戦争という、ぼくは直接知らない悲劇に、しかしかつてそれにひどく傷つけられた女性達に、ぼくは育てられました」

「ぼくが女の人の歌を歌うとき、その女性達が降りてくる」

「…と言うとまるで霊能者のようですが笑
そういった彼女達の魂がぼくに歌わせるのです」

イエローモンキーには わかりやすい曲も応援歌も甘いラブソングもないけど、ロックっていうのは現実と目に見えない何かを繋ぐ架け橋のようなものだと思っています」

いままでジャガーとマリーのフィクションの物語としてJaguar hard painの作風が好きでここまでいろいろ解釈してきたのですが、
ドレスも身に付けずありのままで完全に"不憫な女性像"マリーを憑依させることができるようになってしまった53歳の吉井和哉の衝撃はそれら全てをどうでもよくさせてしまって。
ジャガーもマリーも吉井和哉自身として昇華された現場を見てしまった。
ノンフィクションあるいはドキュメントとしてジャガーとマリーの物語は続いていたんだなと。
まあ、はじめからそりゃあ吉井自身なんですけども。

Jaguar hard painから25年の時を経て、THE YELLOW MONKEYが出したアルバム「9999」にはこうありました。
「残された時間は長くはないぜ」

命を削るようにジャガーを演じていた26歳の吉井和哉と違い、確実に自分の肉体が消える日のこと、魂の行方を意識しているような。
魂と永遠というテーマに挑むバンドが、ジャガーとマリーが何者であったか、本当に伝ええてくれるのはもう少し先になるかもしれないと思っています。
長々と解釈してこんな曖昧なオチかよ、という感じですが、とにかく没入できるアルバムであり今後時代とともに音楽の意味合いが変わってきても普遍的な美しさとテーマ性のあるアルバムではあるので是非聴き返してみてはいかがでしょうか。




26歳の吉井和哉が演じた26年前のアルバムを26歳のわたしが6月26日に書いてるのもなんか、気持ち悪くていいなと思ってます。
吉井のこじつけと験担ぎが感染ったな…

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