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【ボランティア編】こどもの頃の反応って、結局おとなになっても根本は変わらないのでは?その2

1日目に担当して、泣かせてしまった女の子とは距離をとり、

別の中学生の担当としてスタートをきったのだが。

まぁ、勉強しないしない。

勉強するために2時間も、公民館に拘束されているというのに、

勉強しないとか、なんのために、ここに来てるの?この子は。


幼いころに感情と引き換えに合理性と向き合い続けていたわたしは、

中学の頃には合理性の権化みたいになっていたので、

勉強するために来ているのに勉強しないという、

非合理的な選択肢は頭になかったと思う。


一方、この中学生がこの2時間で何をやっているのかというと。

好きな子が出来たという話や、学校の友達と喧嘩したという話。

わたしのその日の服装に対するファッションチェックなどである。


特にファッションチェックに関しては相当なもので、

いつもズボンで来るわたしが、その日たまたま、ワンピースで行くと、

「先生がそんなワンピース着るとか信じられない!!なんでいつも同じ感じじゃないの??信じられないわ!!」

といって、他のボランティアさんや子供たちのいる中、

大声で怒られて、その日、一日勉強どころではないこともあった。

そんな服が本当に自分に似合うと思っているのか。

一体、どうしたらそんな服が選べるのか。

3~4年ぐらい着続けている、比較的お気に入りのワンピースに対する、

壮絶なダメ出しを受けながら、

わたしは、あることに気づいていた。


わたしは、他人から怒られることが相当に苦手だ。

幼少期に、死ぬほど怒られたせいもあるだろうが、

もともとの性格もあると思う。

少しでも相手が怒気を孕むと、一気に血の気が引いてしまう。


そんなわたしが、

中学生の子の相当な怒気を浴びても、

全く動揺しなかった。

ものすごい剣幕で怒るその子を見ても、

一体この子は何でこんなに怒っているんだろう、

と非常に冷静な自分がいたのだ。

こんな経験は初めてだった。


その日のボランティアからの帰り道。

この件について、考えていた。

どうして血の気が引かなかったのだろう。


まず、公衆の面前で怒鳴られること、

これに関しては、今回の件で、

わたしの動揺を誘う要因ではなかったと分かった。


次に、相手との関係性。

ぶっちゃけた話だが、

この中学生は、わたしにとっては、まぁこういってはなんだが、

何かしてくる対象ではなかった。

何をしようとも、わたしの生活に影響はないだろうし、

完全にいなせる自信もあった。


そして、最後に、

わたしは、相手の怒りを言葉に反応しているのではなく、

空気で感じ取る人間だったということも分かった。

相当、えげつない言葉を彼女に投げられたが、全く響かなかったのはそのせいだろう。

怒ってはいるが、言いたいことは別にある。

それが冷静に見て取れた。


つまり、今まで、わたしが怒られて血の気が引いていたのは、

怒った空気をまとった相手が、自分の生活に影響を及ぼす存在と認識していたため、恐怖し、

それにより、わたしも冷静さを失ったことで、相手の本質を見抜くことができなかった。

そして本質が分からないため、余計に混乱し、悪循環を繰り返す。

その相手と関われなくなる。


以上が、今回の経験で発覚したことだった。


つまり、今後、怒られても動じないようにするには、

相手がそれ程自分の生活を蹂躙する相手ではない、

ということを自分に言い聞かせなければならない。

そういうことが分かったのだ。


どうして、こんな感じになったのだろうと、

と思ったが、

そりゃそうだわと、思い至った。


わたしは、いつも母親に怒られていたが、

なんとか論理で説得できないかと試みたときに、必ず言われた一言がある。

「誰の金で食べさせてもらってるねん」

どんなに論理的に説明しても、論理で追いつめた先にあったのは、

論理的な回答ではなく、生存与奪件を振りかざす回答だった。

実際にその後、寒空の下放りだされたり、山奥に放置されたり、

色々したので、他者を怒らせると自分の生存を脅かされる、

と刷り込まれていたのだろう。


ただ、相手が自分の生活を脅かさない存在だと、どうしていいきれるのか、

とか、

そもそもそれは相手を下に見ている行為とかにならないのか、

とか、

この後、一人で相当悩むのだが、

もう、今となっては一つの結論に行きついている。


相手は相手、自分は自分。

その人はこう思った。以上。

そして、後は、その人とどう自分が関わっていきたいのか。

仲良くなりたいのか、

それほどでもないのか。

その想いを大事にして、

カテゴライズせずに、

一人ひとりに丁寧に。

相手に伝えるためにどうすればいいのか、

そこにフォーカスするだけ。

怒られようが怒られまいが、

そんなことはもはや議題ではない、

最近はこんな風に思うようになった。

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