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【幼少期編】自信を持つって、雲を掴むような話じゃないですか?その2

「ゆずさんに、努力だけは敵わないわ」

高校を首席で卒業していった同級生から言われた言葉を、

ダンボールの中身を改めながら、ふと思い出した。

それほど親交のなかったわたしに、

卒業前にわざわざ告げにきたので、よく覚えている。

そりゃ、わたし、頭悪いからね。

そんな返しをした気がする(笑)。


・・・努力。

努力ってなんなのだろう。

漫画には努力して勝ちえたものが自信につながった、

というくだりはよくあるが。


ダンボールの中身と向き合いながら、

一抹の不安がよぎった。

もしかしたら、わたしは一生自信なんて持てないのではないか。


他人は恐らく、わたしの作業量を見て、

努力していると言うのだろう。

ただ、幼少期のわたしは、

自分では努力だとかそういうのではなく、

生存手段であっただけで、

のみこみの悪い自分を呪いはしたが、

やってやった、というような達成感はなく。

ただ、積み上げたものがそこにある、という事実だけで。

それに対して自信を持つことなど、全くできなかった。

なんとか間に合った、という感覚が近い。


ただ、周りは、違う。

わたしが自信に満ち溢れた、むしろ自信過剰な人間として扱う。

それはそうだろう。

毎年、学校に何かが貼りだされ、受賞式に毎回出席し、

拍手を浴びながらも、何も動じない無表情なわたしを見れば、

当たり前のような顔をして、となるのだ。


大人になると、

一つ仕事を習得するたび、

やりきった!というささやかな楽しみも覚えたが、

達成感はあるが、とてもじゃないが自信などと呼べるものではない。

幼少期とやっていることは変わらないからだ。

ただ、会得するまで作業を積み上げる。

時間がなければ、到達できるまでシミュレートする。

いつもやっていること。

いつもやっていることに、どうやって自信を持てばいいのか。

ただ、修得したものは確かなものだから、

出来るかと問われれば、出来るとしか言いようがなく。

出来ることが増えていくほど、自信のある人と誤解され、

乖離していく自己と他者の認識が、ただただ辛かった。


ダンボールの中身を全て確認した後、

母親は、自分の気に入ったものだけ選別して、持って帰っていった。

わたしは、残りを全て燃えるごみの袋に入れて封を閉じた。


自信ってどうやって持てばいいの?

その不安だけをわたしに残して、母親は悠々と帰っていった。

こんな関係性も、幼少期から相変わらずなのである。

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