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【自分と向き合う編】もしかして、こんな感じで自殺してしまった人もいるのかもしれない その6

店内のお客さんは、わたし一人。

薄暗い間接照明の中、奥の部屋に通された。

施術を担当してくださったのは、歳の近い綺麗なお姉さまだった。

上半身を専用着に着替えて。

うつ伏せになって、横になる。


こういう人を癒すお仕事をされている方というのは、

非常に話を引き出すのが上手い。

そして聞き上手である。


わたしは、アロマの香る、薄暗い空間で、

指の入らないとよく言われる肩周りを揉み解していただきながら、

ここにきて初めて、誰にも言わなかった、仕事の件について、自分の感情を吐露した。


人事に納得がいかないこと。

部下や上司に対する気持ち。

自分に対する憤り。


ただ、今でも、本当に今でもよく覚えているのだが。

この時のわたしは、自分というものが全く分からなかった。

色々と、話に感情はこもる。

だが、それは、

「この状況に置かれた、一般的な人なら、きっと、こう思うに違いない」

という、脚本があり、それをそのまま話しているに過ぎなかった。


そして、その事実に、この時初めて気づいたのだ。

仕事の話をして、それを聞いて、

わたしがどういう心境といえば、他者が納得して受け入れるのか。

そればかり、というか、そういうことしか考えていなかった。

結局のところ、今回の人事に対して、

わたし自身がどう思っているかなんて、一切考えにも及ばなかったのだ。


わたしは新人時代、店長と全く折り合いがつかなかったのだが、

「お前は、悲劇のヒロインのつもりか!」

と仕事中になんの前触れもなく言われたことがあった。

そのとき、さすがにむっとし、とても記憶に残っていた。

むっとしたのは心外だったからだ。

自分の感情の存在そのものについて、全く感知していないのに、決めつけられたからだ。

だが、このエステの最中に、はたと気が付いた。

ああ、そうか。

わたしは、自分のことを話すときに常に一般的だと思う脚本があったから。

新人時代は悲劇的ととらえられる脚本で話をしてしまっていたのか。

と。

そりゃ、外から見たら「ぶってる」みたいに見えるわな。


妙な納得を得ながら、ひとしきりの事態と、感情という名の脚本を読み上げるわたしを、エステティシャンのお姉さまは真剣に聞いて下さっていた。

今思えば、真剣に聞いて下さっている方に失礼だったと思う。

深く反省しています。もうしません。

ただ、この後のお姉さまのご意見は、わたしに更なる衝撃を与えることとなる。


施術をしながら、話を終えたわたしに、彼女はこう言った。

「ゆずさんさぁ、もう連絡手段全部捨てて、ここに住んじゃいなよ」

普通のことのようにさらっと言ってのけたのだ。

「いやいやいや、それは。主人もいますし。仕事も」

わたしが苦笑して言うと

「私、冗談で言っていないわよ」

と、とても真面目な声音で返答された。

うつ伏せだったので、表情は見えなかったが。

すこし、怒気すらはらむ気配だった。

「ちゃんと仕事も斡旋するし、部屋も見繕ってあげる。しばらく、家賃もいらないから。大丈夫よ、貴女なら、大歓迎だわ」

わたしは、何を言われているのか分からなかった。

これはただの休暇のはずだ。

「私も元々内地の人間だけど、ここに来て長いの。内地から来たから分かるけど。」

「貴女は、もうその世界を離れた方がいい。」

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