銀座に着物女性を1000人! (1)
毎日銀座にいるけれど、もしこの銀座が着物女性であふれるようなら、それも紬といった着物でなく、後染めの色彩ある京友禅の着物で満たされたら、どんなに美しい風景だろうかと思いついたのが、もう数年も前のこと。
その間、いろいろなことがあって、銀座に着物女性を1000人集めるというプロジェクトは放ったらかしで、着物を着たいというひとはいるにはいるものの、景気のせいだろうか、リサイクル着物という古着を買って着るひとが多く、それどころか大正や昭和初期の色あせた着物をレトロとして着るようなひともあり、今の着物はそういう意識でしかないのだと思うと面倒になってしまい、自分が思い描く京友禅の風景を作る気持ちが正直萎えてしまっていた。
こんなことを書くと、それこそリサイクルがなぜ駄目で、レトロがどうしていけないのかと思うひとがいるに違いない。
確かに着物は「着る物」だから、何を着ようと勝手であって別にいいのだけれど、着物に対する“美意識”という点で、わたしが感じるものとそれらは明らかに違う。
でも着物を本当にちゃんと着ていくと、わたしが言いたいことがおそらくわかってもらえると思う。ただ、それは経験も必要だし、少しずつ理解が深まるようなものだから時間もかかり、銀座にわたしが思う描く風景を作るにあたって、それを理解してもらうことを考えたら面倒になってしまっていた。
しかしながら、ようやくそれもどうでもいいと思い、心に踏ん切りがついた。なぜなら、着物という文化はそれほど遠くない将来、ほとんど消滅するのだから。
その理由はまず、着物の産地に理由があって、職人は高齢化し、その上仕事が少ないから技術を継承するひともなく、つまり作るひとがいなくなるから。だから、着物はなくなる。
残ったとしても、昨今の成人式の振袖に見られるようなインクジェットプリントのものだろう。それだけでなく、仕立てをする和裁職人も日本にどれだけ残るかわからない。今でさえ、大手の呉服屋はベトナムで仕立てているところが多い。
そんな状態だから、着物女性を銀座に1000人をやるならラストチャンスということになる。
それも東京オリンピックの前にやらないと、オリンピック後は今以上に経済はジリ貧になるだろうから着物なんて買ってられないだろう。
そうなると面倒とは言ってられない。やるなら今しかない。自分が考えていることをどれだけのひとに理解してもらい、着てもらえるか。
それは簡単なことではないけれど、やらないことには何も生まれない。
やってみて、どんな着物を着ると美しいのかを伝えていきたいと思った。
古着やリサイクル着物ばかり着ているひとには耳の痛い話、腹の立つこともあるに違いない。でもわたしは何が美しいのかを言っていきたいと覚悟を決めた。自分の美意識だけは譲れない。
せっかくの着物を着てみたいという心を色褪せた着物や他人の手垢のついた着物、寸法違いの着物で包むべきではない。
もしそれでも構わないというなら、それもいいと思う。そのひとの考え方であり、そのひとの人生であるからまったく問題ない。ただ、わたしが考えている価値とは共感できないだけで。
ひとはすべて同じでなくていいのだから、自分なりの着方をすればいいと思う。
それとは別にわたしは自分の価値観を共有できるひとで銀座に1000人集めたいだけだから。
着物なら何でもオッケーなら、おそらくこの企画はハロウィンのようなコスプレ風景になるに違いない。
着物が悪ふざけなコスプレにならないためには、着物をどのように着るかというその心にあるわけで、その心は上質なものである必要がある。
着物の装いというのは、外見のことではなく、実は着るひとの内面がもたらすもの。
銀座に美しい風景を作りたい。
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