期待は価値か ―うつ病体験談―

他人の期待は私にどう影響してきたんでしょうか。


私の好きな動画配信者は言いました。

自分はもともと“いい子ちゃん”だったのだと。

他人に期待されていた――厳密には、他人からの期待に対して、通常なら期待度1だと感じるところを、彼は期待度10だと感じてしまう――そのために、大きな期待に応えようと一生懸命だったそうです。

しかし、その生き方には落とし穴がありました。

期待に応えることが他人の顔色を伺いすぎることに繋がり、心の負荷となって、うつ病や適応障害を発症してしまったんです。

そんな自分自身に言い聞かせるように、彼は、他人の期待を裏切るという生き方を提案しました。

期待に応える他人軸的な生き方ではなく、むしろ期待を裏切ってでも自分の気持ちに寄り添うというものです。

たとえそれが“いい子ちゃん”でなくてもいい。自分の人生は自分で決めるものであると、彼は言いました。


私は、彼の動画を視聴して感銘を受けました。

他人の期待に応えることこそが生きる価値だと思っていたからです。


私はこれまで、幾度となく他人の期待に応えようとしてきました。

それはどちらかと言えば無意識のうちに、潜在的な何かが自分自身を追い込むような感覚だったとも思います。

また、期待に応えてきた前例があるために、次から次へと期待の波はやってきます。

その波は私にとっていわゆる負の連鎖で、社会人になりたての頃にはいよいよ期待されることに鬱陶しさを感じるようになっていました。

配属されて、様々な要因から、明らかに周囲から期待されていたと思います。

ただ、優しい上司や先輩に囲まれたこと、仕事を覚えるのに精一杯だったことで、期待そのものを気にしてはいませんでした。

そのため、仕事は順調に見えた、見えただけでした、蓋を開ければボロボロだったんです。

新人として期待されているという精神的負荷が心を病ませていました。


結果として、私はうつ病を発症しました。


期待に応えることが間違いだったとは思いません。

むしろ周囲の喜ぶ顔が見ることができて、自己肯定感は高まっていたし、これが生きがいだと感じていました。

でも、他人に寄り添ってばかりで、自分の心に寄り添っていませんでした。

今後の生き方について、自分自身で舵を取らなければいけないと気づきました。


第一歩として、来年には現在の仕事を辞める予定です。

そして、フリーランスとして自分の好きなことで生きていきたい、「仕事を続けてくれるだろう」という他人の期待を裏切って、生きていきたいと思います。

そういう生き方が、私の価値だと信じて。

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