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「光る君へ」題字発表

発起人というよく分からない位置づけで、なんだか色々やっている「ひとうたの茶席」。色んな意味でヴィジュアル担当の書道家、根本知さんの書が、来年の大河ドラマ「光る君へ」の題字となることが決定した。

ずい分前に来年の大河のテーマが紫式部になると知った時、「来たな、時代が」とちらと思ったが、まさかそんなことになるとは予想しなかった。書道指導もされているので、吉高由里子さんなんかにもご指導されているそうだ。ええやんええやん。そこに高橋克実はいない?じゃ、岡田将生はどう?

少し前に話をうかがい、毎日悩みつつ制作に取り組まれていると聞いて、発表を心待ちにしていた。果たして今週月曜日、公開された文字を見た瞬間、画面に集中していた視野が一気に広がり、目の前が一段明るくなったようであった。

https://steranet.jp/articles/-/1882

伸びやかではあるが、晴れやかさよりも、人間であることの切なさを感じるような字だと思った。先の記事でプロデューサーの内田さんも触れている、「光」の最後の筆先は、触ることのできない人の心というものに、そうと知りながら万感の思いを込めて伸ばす指先のようではないか。その切ない切っ先が、当人たちには悲しくも、遠くから見ると黒曜石の矢尻のように輝いて見える、そんな「光」である。

「君へ」の「へ」はつなぎ合わせた手がどちらかの人生の最後に力を失い、解けていく様のように柔らかく、そしてきっぱりと途切れる。この字を見てからあらすじを読むと、来年一年分のドラマを、この4文字でだいたい語りきっているようにも感じる。

じっと文字を眺めているうちに、まだ子供を持つ可能性があった若い頃、いつか子どもが産まれたら、男でも女でも、光という名にしたいと思っていたことを急に思い出した。画面の中で「光」の一字は、その頃の私が思い描いただろうイメージを遥かに超えて、美しく輝いていた。

根本さんが教えてくれたように、この文字は根本さん一人では書けなかったのだろう。書のことはよく分からないけれど、それまでに何度も「ひとうたの茶席」の撮影で拝見した作品では見たことのない字のように感じた。プロデューサーの方たちと何度も検討を重ねて作成されたそうだ。そしてこの内田さんという方の文章にも心打たれた。そして大河にかける思いを想像し、いつかこんな美しい仕事を私もしたいと思った。

浮き世の評価などよりも、親しくお付き合いいただいている先生が、一人では書くことの出来なかった字を書く機会を得、これまでと違う段階に進まれたことを何よりも嬉しく思う。一人で探求してきた書から、みんなで作り上げる書になったこと。それも勝ち負けや一定の価値水準のためでなく、誰かに何かを切実に伝えるためであること。そのことが書の世界に、ひいては日本の言葉そのものに、この先時間をかけて影響を与えていくことを、なぜだか私はよく知っている気がする。

タモリ倶楽部の終了とともに空耳アワードの末席に座るという夢が潰えた今、「65歳くらいでどっかから光悦の茶碗をもらうことになったため茶会を開き、三尋木さん(友人の茶人)の息子に茶を点てさせる」というわたくしのわらしべは、いよいよ順調だ。和文化の継承、世の安寧までも含む私なりに壮大な夢のため、私にできることを精一杯頑張っていきたい。