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もうすぐなくなる地元のラーメン屋に、勤めている会社の代表と親と行ってきました。

「小学生の頃から通ってた地元のラーメン屋さんが今度閉店しちゃうんです。最後に写真を撮りに親とカメラマンの人と行こうと思っていて。」

「僕も行っていいですか」

zoomミーティングの間の雑談でそんな感じの会話をして決まった予定だったと思う。

2023年12月のある日、私は自分の両親と、カメラマンと、勤めている会社の代表という奇妙な取り合わせで閉店直前の地元のラーメン屋に行くことになったのである。これはそんな備忘録。

私は都内の大学に通う23歳大学生。海外留学やら旅やらをして気づいたら大学六年目になり、何を思ったか急にベンチャーキャピタルというスタートアップ企業への投資会社で働いている。

経緯は以上↑に

私には8歳くらいの時から定期的に通っていたラーメン屋がある。

正確に言えば私の父親が通っていて、私はくっついていってた、に近い。

その店はマスターがギター弾きをしていたことから、常にジャズなのかシティポップなのかが流れていて、今で言う昭和レトロ的な内装で、夜な夜な音楽好きの人たちが集まって飲んでるような店だった。

記憶の限り有線ラジオは流れてたことはなかったし、食券の券売機もなく、所謂ラーメン屋で連想するような店ではなかった。そもそも店主のことをマスターと呼ぶ風習はラーメン屋ではないなとこれを書いていて気づいた。

因みにこの店の隣のカレー屋はメニューに「ポークギブソンカレー」と名つける、これまた音楽好きの溜まり場みたいな店である。

私の父は趣味でバンドのキーボードをやっていて、何かの折にこの店を知ったらしく、ほぼ毎週通っていた。

当時8歳の私は遠方の私立小学校に通っていたことから地元に友達が一人もおらず、土日といえば駅前の図書館に行く生活を送っていたため、付き添いをする父親が昼ごはんついでにちょくちょく私を連れて行っていた。

小学生時代の私は必ず「ざる支那」というラーメンの麺でできたざる蕎麦を食べていた。ラーメン屋なのに。

中学、高校と歳が上がるに連れ頻度は下がったものの、とは言え土日の暇な時とか、母親が外出しててご飯のアテがない時とかは父とこの店に行っていた。気づいたら私は父とセットで俗に言う「常連」になっていた。

そんなことを言うとドラマみたいな、常にマスターにいろんなことを喋っているような様子を想像するかもしれないが、私とマスターはさほど会話数は多くなかったと思う。

マスターは
「身長伸びたなあ」
と毎回言われ(全っ然伸びてなくても)あとは
「何食うか」「彼氏はできたか」「今何やってるんだ」
くらいのパターンに
「つけ麺」「いないよ(いようがいまいが)」「部活or就活or旅」
と答えると
「そうか」
と言って調理に戻り、あとは父親とひとしきり話していた。
それをを横目に粛々と麺を啜っていた記憶がある。

リアルで今村柚巴を知ってる人に言うと驚かれると思うが、私はオンオフがかなりはっきりしていて、一定数近しい人とは沢山会話をするタイプではない。家では超静かである。

特に悩みの捌け口でも趣味の場所でもなかったが、ずっとこの店は地元にあって、たまにふらっと寄りに行くような、そんな場所だった。

大学に入ってからはめっきり行くことが減った。一、二年生で部活動に明け暮れ、三年生で日本一周、四年生は海外留学、五年生は就活、六年生はVCの仕事。日々動き回る生活にハマりすぎて、最寄駅にランチタイムにいることがほとんどなくなった。(2023年は月に一度は地方にいた)

とは言えなんだかんだと年に1,2回は行って、もう伸びるわけがない身長を伸びたか、と聞かれるくらいの関係は続いていたし、第一志望だった広告代理店の書類課題の作文の舞台に選んだら通過したり、(最終面接で落ちた)なんだかゆるやかな関係は続いていた。

そんなことをしていたら、秋のはじめに急に父親から「あのラーメン店、今年の末に店じまいするんだよ。20年の節目で、地元に帰って悠々自適に過ごすんだと」と言われた。

正直想定外すぎて「へえ」くらいしか言うことができず、また沢山行こうと決めた割には1回しか店に行かずに12月が始まってしまった。

流石にやばい、このままだとぬるっと終わってしまう。と焦り始め、取り急ぎカメラマンの友人・梶さんのアポだけは抑えた

ゆるやかなる日程調節

このことを両親に伝えると、マスターとの関係もあるし自分たちも行くよ、と家族with梶さんラーメンが決定した。

ここで話は冒頭に遡る。呑気にこの話を所属先のベンチャーキャピタルの代表の木下さんにしたところ、「僕も行っていいですか」になったわけだ。

普通、会社の代表は社員のプライペート空間に関わることはないものだ。と私は思っていた。でも木下さんはそうじゃなかった。

最近別の新卒社員の実家に4時間かけて行ってたし(私も面白くてついていったけど)

この人がとる選択はいつも想定外すぎて、半年一緒に過ごしてみてもはやびっくりもしなくなっている自分もいる。

このときも「あ、そっすかー伝えますねー」と答え、

「今度のラーメン、うちの会社の代表がくるから」

するっと父と母に伝えて、家族with梶さんand木下さんラーメンが決定した。

12月20日のラーメン日の朝食の時、父親に声をかけられた。

「木下さんに会う前に、どうしてこの会社が好きで、なんで勤めているかを教えてくれ」

そういえば私は自分の活動のことをやたらと親に報告しない子供だった。(別に反抗でもなんでもなく、単に言わない子だった)

長くなるからここでは割愛するが、今私がこの会社にいる理由を朝ごはんを食べながら話した。

私の話を聞いてうなづいた父と母は、外出の準備を整え、私を乗せて店まで車を走らせ始めた。

この辺でようやく私に緊張的なものが走ってきた。もしかしてすごい日なんじゃないか。今日は。

私たちは定刻より少し早く店に着いた。到着していたカメラマンの友人、父と母を先に座敷に案内し、外のベンチで木下さんを待っていた。そこから5分後、「最寄駅に到着しました」との連絡が入った。

SVに入ってから半年、木下さんとはいろんなところで顔を合わせた。

渋谷のオフィス、六本木のカンファレンス、京都の出張、徳島の村と阿波踊り。

どこであってもおかしくないし、どこででも会える人だ、木下さんは。

でもおかしいことに、私はとてもとても緊張していた。でかい家具屋と公民館とアパートくらいしかない私の地元に木下さんがいる、という現実がどうしようもなく不思議で、ベンチを立ったり座ったりしていた。

「お待たせしました」

「あっ、遠いところありがとうございます」

そんな感じの会話で木下さんは店に入って行ったと思う。

15年間慣れ親しんだ座敷に父と母、木下さん、私、そしてそれを撮る梶さん。なんとも奇妙な構図だ。

父が

「木下さん、お話は伺っております」

と話始めた。

そこからの会話は、正直あんまり覚えてない。

たしか、父が木下さんに会社のビジョンを聞いたり、母が自宅に生えている柚子を渡したり、木下さんが私を褒めてくれてたり、元銀行員の梶さんの話を聞いたり、そんな感じの内容だったと思う。

ただ、私は写真の通り小さくなりながらお茶を啜って、ふんふんとうなづくばかりしかできなかった。なんでだろう。いつもの「ゆずちゃん」は完全に消えていたと思う。

ここで、おそらくこれが最後に食べることになったであろうラーメンの紹介をしてみる。

ここのお店は太麺と細麺があって、魚介醤油がベースになっている。

毎日夜は呑み屋に変化することから濃い味だけどくどすぎずにお酒に合う不思議な味となっている。

あと、チャーシュー丼が美味しい。豚と鶏が選べて、どっちも美味しい。

毎年冬になると父がチャーシューのお持ち帰りを家に持ってくるくらい。

私は父と行く時はラーメンとチャーシュー丼を一つずつ頼んで分けていた。

餃子は一粒が小さくてうっかりすると全部食べてしまえる。

父はお酒を飲むと食べるスピードが急激に落ちるので、どうしてもなくならない餃子が目の前に置きっぱなしの構図がよく起こっていた。

耐えの修行のような日々だったと思う。(待てば食べてくれるので私の体重増加には繋がらないと信じてる)

思い出回想を終えたところで全員の食事が終わり、閉店時間の14時を回ったのでさあ退店しようということになった。

「お店を出る前に集合写真でも、、」と声をかけてみたがマスターは既に店の上の自室に帰った後だった。

横顔だけはなんとか撮ってくれた

ええ。。と落胆する私に父親が

「おい、段取りをちゃんとしなさい。」

と咎めた。

それどころじゃなかったんだよ、私の精神は!ともやもやしたが、確かに正論でしかないので「はい。」と呟いた。

そこからさっさと父と母は会計を済ませ、「ここで帰りますので」と先に家に帰った。

木下さんも次のアポがあるとのことで先に会社に戻り、私と梶さんが店内に残された。

客が一気に捌け、がらんどうになった店内。あれだけ勢いよくすぎた時間が、急にものすごくゆっくりと進み始めた。

とりあえず肩の力が一気に落ちて、座敷に私は座り込んでいた。

思えば、あの日のあの店は何事もない、いつもの店だった。

昼になるとお客さんがごった返して、皆食べるスピードがなんとなく早くて、店主の二人がいる。

そんな当たり前の中に謎の空間が生まれていた。

私と、私を23年育てた両親と、8歳から通っていてもうすぐなくなる店と、旅を始めた頃からの付き合いのカメラマンと、つい半年前から閃光みたいに急速に関わってて、この先もかなり長い時間を過ごすであろう木下さんとが一緒の時間を過ごしてる。

過去なのか現在なのか未来なのか。

圧倒的な違和感。

私の居心地はよかったのか悪かったのかどちらでもないのか。もうあんまり細かい感情までは覚えてはいない。

でもこの年、この月、この日でなければ生まれなかったこの景色と空気と、もう二度と食べられない味だけが脳内の奥深くにこびりついていて、

私はこの先何年たってもこの日の情景を思い出すと思う。

後日談。2023年12月30日にお店は閉店を迎えた。

40人以上が集まり、ライブハウスと化した店内でアンプとギターが永遠に鳴っていた。

(私は会社の出張を早く切り上げてもらって、なんとか演奏終了1時間前に滑り込んだ)

一言ずつお礼のスピーチが回ってきて、私が

「8歳の頃から通っておりまして、、」

と挨拶を終えたところにマスターがひとこと。

「お前、ずーーーっとざる支那しか食わねぇんだよ。あれ全然儲けないんだぜ?困っちまうよ。」

よく覚えててくれたなぁ。

2023年12月31日

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