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人は能動的に学ぶのか ~現実的必要から学ぶ~

こんにちは。
 前回の記事では、現行の学習指導要領で獲得させる資質・能力の1つ「学ぶに向かう力」はなぜ必要なのか、伝統的な学習観を紹介しながら述べました。
↓↓ 前回の記事

 今回の記事では、新しい学習観について紹介して、学び手はどのような時に能動的に学ぶか述べていきます。

 最後まで読んでいただけると、うれしいです。

1 伝統的な学習観と新しい学習観

 まずは、前回の記事でも書いた伝統的な学習観は、このようなものでした。

  • 教え手が必要である。

  • 教え手は、知識の伝達、学び手への正誤の確認情報を与えることが仕事である。

  • 学び手は、受動的で有能ではない。

 前回の記事でも書きましたが、このような学習観の中では、詰め込み教育や定期的な小テストが正当化されます。
 しかし、このような学習では弊害が出てきました。

 そこで、伝統的な学習観を否定して、新しい学習観を創る必要性に迫られました。

 新しい学習観では、「学び手は、能動的で有能」だと考えます。

図1 新しい学習観における学び手のイメージ

 この学習観においては、詰め込み教育はもちろん否定されます。学び手は能動的だからです。

 では、学び手がどのような学びにおいて能動的か示していきます。

2 現実的必要から学ぶとき

・ 意志を伝える必要から学ぶ

 英語圏の国へ引っ越して、現地の人とのコミュニケーションをとる必要があるとき、英語について学ぶ必要があります。

・ 生活上必要な技能を身に付ける必要から学ぶ

 料理が苦手でも一人暮らしをしたら、料理について学ぶ必要があります。機械が苦手でも、田舎暮らしならば車の運転技能について学ぶ必要があります。

・ 動物の飼育の必要から学ぶ

 祭りの景品でもらった金魚などを育てる必要があるとき、動物の生態について学ぶ機会が生まれます。

・ 売り買いの必要から学ぶ

 おつりの計算から、セット売りにしたときの金額設定などを考えるときに計算が必要になります。

 このような「現実的必要から学ぶ」場合、学び手は学ぶことへと強く動機づけられています。また、目標がはっきりしているため、教え手からの正誤の確認情報は不要になります。

図2 現実的必要から学ぶ

3 現実的必要から学ぶとは

 現実的必要とは、次の2つの条件を満たしている場合と定義します。

条件1
 自己の現実の問題を処理するうえで、学びが不可欠だと実感すること。
 教え手によって作り出された必要性は含まれない。

図3 学び手が「必要」を実感して学んでいるのではない

条件2
「必要」によって作り出された目標と、それを達成するための手段の間に本質的な関係がある。

図4 おこづかいをもらうという「目標」と、漢字の練習という「手段」の間には本質的な関係はない

4 「必要」は超えられるか?

 最後に、現実的な必要から学ぶ場合の懸念点について書きます。

 この学びでは、学び手は明確な目標に向かって、最低限の知識を得て達成しようと試みます。
 そのため、理解の深まりがないのではないかという懸念があります。

 しかし、何か目標を達成した場合、「こんなときはどうなるのだろう?」という疑問をもつことはないでしょうか?ありますよね!

 これは人間に知的好奇心があるからです。
 これが理解を深めてくれます。
 知的好奇心については、また別の記事で書きたいと思います。

参考文献

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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