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国立に憧れ続けて。

中1から大学4年生までの11年間。
わたしは東京の西にある、立川と国分寺の間に位置する、国立(くにたち)で学生生活の大半を過ごした。

国立に憧れ続けて、
国立で息をして、
国立で四季を過ごして、
国立で恋をして、
国立で悔やんで、
国立で泣いて、
国立で喜んで。

もう、思えば、今の私の人生の半分は国立で埋め尽くされてるんだ。
だから、私にとってこんなにも大切な場所なんだ。

憧れて恋して努力して悔やんで泣いて喜んで感動して。
ここには若い時に経験したい感情全てが詰まっているんだと思う。
国立という場所に帰ってくると、
その時の情景が思い出されて、
その時の感情を手にとるように思い出す。

その度に、当時の青い自分、、
いや、今もまだかなり青いな、、
だから当時は、蒼い自分碧い自分?もっと澄んでいて濃ゆくて深い「あおい」自分を思い出し、
その時の自分に立ちかえることで、自分というものの輪郭を描きなおそうとしている気がする。


でもなんか、今日はふとまた違う感情が生まれた。

国立が大好きだけど、
国立と同じくらいに、その土地に憧れもがいて悔やんで泣いて喜んで感動するような経験。あれからしてないんだなってこと。


土地に行って思い返す。
その場所だから感じること。

それがコロナで一気になくなった。感情が死んでいくような気がする。でもきっと人は、何がしたいかに突き動かされるというよりも、そこに身を置きたいとか、そこで生きたいとか、そういう感覚的なところに本当は惚れるのかもしれないと思ったりした。



もしかしたら自分が思っている以上に、
私は国立に取り憑かれていたのかもしれない。
私が知る世界では、ここが一番だったけれど、
自分が嫉妬するほどの環境があるとか、
嫌悪感が出るほどの充実した経験をできたかもしれなかったとか、
そういうことを忘れているというか、なんかそんな感じ。


そう。
いつでも、自分の人生が一番だって思ってないと人は生きていけないから、きっとこれまでも今もこれからもそれでいいんだと思う。

でも、自分の置かれている環境とか現状とか、そんなことすっ飛ばして、その先に憧れるという経験。なんだか圧倒的にすごいものを魅せられたという感動。

もしかしたらわたしはそれがきっと、海外大学院にあるって思っているのかもしれないな。それはもしかしたらないのかもしれないけれど、
そこに憧れて頭がいっぱいになるくらいに強烈な体験を、20代の残りの期間でしないといけないと、今思っているのかもしれない。


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