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本音と建前


最近、自分が他人に発する気持ちというものが、倫理観という殻に被った、建前なんじゃないかと思うことが、多くあるように感じる。

例えば、何気なく会話している中で、自分が思っていることと違う価値観を持っていると話したとき。きっと、相手がこう返して欲しいんだろうなというのを察知して、賛同できなくても
、肯定的だったり、気遣う言葉をかけてしまう。
或いは、バイト先の後輩に注意する時、必要以上に、優しさで包んで、本質をぼかして伝えてしまう。
または、バイトでシフトの代わりをお願いされたとき、あまり気乗りしなくても、力になりたくて助けに回ったりしてしまう。

必要以上に相手を罵倒したり、強い言葉で注意することは倫理的に良くないと思うし、心の中で、私が負の感情を抱いているのは、あくまで私の価値観であって、相手が思う気持ちと一致していない場合もあると考えていて。
だからこそ、人を傷つけないことを優先してしまう。

その反動でなのか、本当に気を許した、家族や、親友、彼には本音が溢れてしまう。
緩いつながりの人たちにはもしかしたら人畜無害で、優しい人に思われているかもしれない。(実際そちらの方が立ち回る上で、双方にとって不快感が少ないと思うので、そのような人物像に寄せている節はある)

しかし、本当の私は恐らく性格がよくないと思う。心の中は差別心も偏見もある。自分の中で気持ちと向き合うと、矛盾したわがままな私がいるし、時々罵倒したい衝動に駆られることもある。人に対して、性格悪いなぁと思うことも少なくない。
もしかすると、本当に近しい人は、大多数の人が私に抱くようなイメージを、私に持ってないかもしれない。

もちろんすべてを、という訳では無いけれど、大切な人には素を出してもいいかなと思えるからこそ、負の感情も素直に出していると思う。ありがたいことに、そんな私を受け入れてくれるあたたかい人たちに、私は囲まれている。

MBTIでこの記事の本質を曖昧にさせたいという意図はないけれど、私のMBTIである、INFJは相手の顔色を伺って、意見を変えてしまったり、相手の嘘に気づくが、それに気付かないふりをするという特徴があるらしい。
私も確証は無いけれど、表情や話し方などから嘘なんだろうなと気づくことはある。
見栄からの嘘や、優しさからの嘘の場合もあるだろうと考え、わざわざ暴こうとは思わないけれど。
少なくとも、INFJの特徴を見て、そういう人がいるということに私は安心したのだ。
性格の悪い私を受け入れたくなかったから。

この記事で言いたいのは、
身近にいる、優しい人も、きっと平等に傷つくし、怒ることもあるということだ。
優しさで何も言わない可能性があるということ。
だから、身近にいる優しい人のこと、たまには労ってあげてほしいし、気遣ってあげて欲しい。

体感の話だが、優しい人は大抵繊細さんに当てはまることも多いと思っていて。
だからという訳では無いけれど、少しの優しさで幸せな気持ちだったり、安心感を得ることが出来ると思う。また、人に優しくできるということは優しさの意味を理解し、他人を思いやることができる人だと思う。きっと優しさで、思いを汲み取ってくれるのでは無いだろうか。

たったひとつの親切心が、誰かの力になったり、安心感に繋がることを知る人が増えたらいいと強く思う。
そして、この記事が、考えるきっかけになったのなら、もっともっと嬉しいなと感じる。

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