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2000年生まれが『侍タイムスリッパー』を観た【映画感想】


評判が良いので観に行った『侍タイムスリッパー』。
時代劇も日本史も微塵も興味のない自分にはNot for meなのでは、という疑念もなくはなかったが、そんな心配は無用だった。
これは凄い映画だと思わず息をのむ、愛に満ちた名作である。



時代劇愛にあふれた映画

この映画をざっくり言えば、現代にタイムスリップしてきた侍が時代劇の役者としてドタバタするコメディ映画である。
企画としてはだいぶ使い古されているし、コメディや会話のノリもかなり古くさい。実際、ターゲットは自分よりもかなり上の年齢層なのかなと客席を見て思った(若い女性もそれなりにいたが)。

でも、それはむしろ真っ当なのだ。
これは使い古された、言い換えれば長く愛されてきたキャッチーな設定を用いた「時代劇PR映画」だからだ。
そういう意味で、この映画は時代劇に対する愛で満ち満ちていた。

作中で出てくる風見の「今だからこそ時代劇を作らなければいけない」「あの時代を必死に生きた人達の思いを伝えたい」(どちらもニュアンスです)といったセリフは、まさしく監督の言いたかったことそのものなのだと思う。
そして、そのメッセージを嫌味なく、ちゃんとエンタメにして完璧に伝えられている映画だと思う。

若干乗り遅れたりもした

とはいえ、若干乗り切れないところがなかったと言えば嘘になる。

冒頭、会津藩士の主人公・高坂が長州藩士を討とうとするところは、自分の知識のなさと会津弁の聴き取れなさが相まって「どっちが何の立場?」となってしまった。
「起」ではその後、現代にスリップした高坂が時代劇の助監督(ヒロイン的立ち位置)に助けられ、その人の知り合いの寺に居候することになる。
このあたりでは、言ってしまえばこのジャンル定番の、タイムスリップしたがゆえの過ちを楽しむパートが続く(テレビや洋菓子に仰天するみたいな)。高坂を演じる俳優さんの演技が大きくて、その点では楽しめるのだが、脚本的な筋としては「この後何するんだろ?」と正直思っていた。ヒロインが監督を目指して頑張っているみたいな話を聞くあたりでは、「うーん、この人のことを救ってなんかいい感じになったところで過去に帰るんだろうか?」と凡庸な頭で予想していた。
しかし、話は思わぬ方向に進む。

時代劇の撮影でアクシデントが起きて、急遽代役の斬られ役が必要になった。ここで高坂登場。見事な侍っぷりを見せつける。
これもこの企画の必須ノルマなので(ここの演技も素晴らしいのだが一旦プロットだけに注目する)当然それは良いとして、この後、高坂はヒロインの役に立てることが嬉しくて、時代劇の「斬られ役」として志願する。
ここでヒロインや殺陣の師範に「今時斬られ役なんて食えないからやめな。時代劇はもう斜陽なんだから」的な忠告をされる。
このあたりで、私はようやく前述したようにこの映画が「時代劇PR映画」だということに気付き、ひとり勝手に納得するのだった。

なんだかんだ爆笑する

この映画は、自分の記憶に覚えのないくらい映画館が騒がしかった。
それくらい皆、声を出して笑っていた。

最初は正直「80~90年代のマガジンみたいな古いコメディだな」「笑っている声も大体おっさんおばさんやし」とか思っていた自分も、「承」あたりからだいぶ没入して笑えてきた。
映画で一番笑ったところは、殺陣の師範と練習をするところ。
侍の本能で斬られ役なのに斬られることができず、反射で師範を何度も斬り殺してしまうシーンだ。
ここは師範のオーバーな演技と、かっこいい殺陣の動きもギャップになって、本当に爆笑してしまった。人生史上、映画館で一番爆笑したかもしれない。
自分、大味で分かりやすい笑いに弱すぎる。

またシリアスに乗り遅れる

いわゆる脚本術でいうところのミッドポイント(中盤の事件)で、タイムスリップ前に討とうとしていた長州藩の男・風見と再会する。
彼も高坂同様にタイムスリップしていたのだが、なんと彼が来ていたのは高坂よりも30年前の日本だった!

同じ雷に打たれている訳だから、ふたりともスリップすることは予想していたが、まさか時期をずらすとは。「君の名は」的衝撃。普通に驚いた。
最初は意味が分からなくて「なんでもうこいつ現代で大御所俳優になってるの?」「10年時代劇休んでたって時系列おかしくね?」と混乱した。

ここから、高坂は風見に誘われて、時代劇の映画に準主演として出ることになる。つまり、江戸時代と同じライバル同士の役柄ということになる。

ここから、コメディ要素多めだった映画にシリアスがかなり混じってくる。
風見が時代劇から10年離れていた理由とか、高坂の葛藤である。
高坂は追加された脚本で「会津の民が新政府軍によって残虐な目に遭った」という(高坂にとっては未来の)歴史を知り、涙に暮れる。そして、自分が何のために時代劇をやっているのかを問い直すことになる。

高坂がこの追加脚本を読んでから、京都のクソガキにコーラを顔にぶちまけられるあたりまでの場面が、有名な脚本術「SAVE THE CAT」で言うところの「すべてを失って」~「心の暗闇」に相当する場所である。そういう意味で、この映画はすごく基本に忠実なプロットメイキングをしている。
SAVE THE CATについて詳しく知りたい方は「ブレイク・スナイダー・ビート・シート(BS2)」で検索ください。

その後、高坂は「撮影に真剣(本物の刀)を用いる」というトンデモ解決策を提案して、クライマックスへと進むのだが…。
正直このあたりの心情変化もちゃんと乗り切れなかった。
これは自分の会津藩士の侍に対する知識不足と、この映画のシリアスにまだ乗り切れなかった(高坂の立場にまだ完全には感情移入できていないからである)からだと思う。

PR映画とは分かっていても、「時代劇」を作るべき/見るべき理由って何か私は全く見当もつかないから、この後どういう展開になるのか全く予想できないっていうのもある。時代劇が好きな人なら、もう少し「そうそうこれこれ」ってなったのかも。

ただ、真剣での撮影シーンの直前。
高坂が「無念のうちに死んだ仲間に顔向けができない」(注:ニュアンス)と風見に打ち明けるシーンで、私はようやく高坂が何に悩んで、なぜ真剣でなければならなかったのかが分かった。
それこそ時代劇をやる意味であるところの「侍の思い」である。激動の時代を生き抜くために必要だった覚悟とは何だったのか。だからこそ、前世の敵
が目の前に現れたら、命を賭して戦わなければならないのである。

沈黙────。

そして、命がけの殺陣が始まる。
ここの始まるまでの睨み合いの数秒間が本当にたまらなかった。

無音。
BGMも動きも一切ない、静止画のような数秒間。
それまで賑やかだったからこその落差に、我々は強烈な緊張感を覚える。

ラジオだったら放送事故だろ、というような勇気ある「静」が本当に素晴らしくて、その後の「動」、つまり躍動感のある殺陣が一層輝いていた。

本当に殺してしまうんじゃないかというほどの殺意がこもった演技。
「え? 映画って斬首シーン流していいんだっけ⁉」と身構えたほど。(流石にそんなの流すわけないのに)

正直、ここだけでそれまでの疑問をすべてねじ伏せる圧巻の演技だった。



結論としては。
言葉でも、画面でも、かなり分かりやすく大衆に優しい映画だった。
もともと単館上映だったのが、ここまで広まるのも納得。

本当に「時代劇の魅力、全部詰めました!」みたいな健気さがあって、時代劇への巨大ラブレターと言って差し支えないかと思います。

あと、やっぱりフィクションにおいて「無害化されたおっさん」ってキャラクターとして強いなと思いました。
本当だったら、高坂は男尊女卑まっしぐらの時代にいたわけだから、ヒロインが男社会で監督になろうと奮闘していることを「いっぱしの侍みたい」と褒めるような現代的良識はない方が自然ではあるのですよ。
でも、そこはやはりより多くの大衆に(それこそ時代劇を見たことのない人にまで)この布教映画を届けるために、キャラを徹底的に可愛く(=デフォルメ)している。女性に対して初心で、酒が飲めなくて、でもライバルの前では意地を張ってウイスキーを頼んでしまう。なんて分かりやすい。

余談だけど、赤坂アカはデフォルメとリアルの行ったり来たりが超上手い。可愛いのにリアル。赤坂アカが高坂を描いたら、男尊女卑的な発言すらもコミカルに描いて(なんでそういう考えになったのかの時代背景やバックボーンまで含めて描いてそれを全否定しないという意味)しまえるのだろうと思う。もちろんデフォルメした方が簡単に大衆に受け入れられるんだけど、でも、都合の悪いものを捨象してデフォルメすることは、あんまり良いことでもないと私は思ってしまうんよね。「都合の悪いものも持ってるよ人間だもの、だからそれと上手く付き合っていきたいよね」とでも言うような赤坂アカ先生の態度が私は好きですね。


ま!
ごちゃごちゃ言いましたが、とにかく見てない人は見た方が良い映画です。損しない映画だと思います。
私もTwitterでお勧めしていた人には感謝しかないです。

どうやら監督の経済事情はかなりやばかったそう(初号完成時、口座残高が7000円だったとか)なので、少しでも貢献できればと思い、今回布教映画の布教をしてみました。

以上、映画『侍タイムスリッパー』の感想でした!












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