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挫折

「あなたが挫折した経験を教えてください」
「あなたの失敗経験と、そこから何を学んだかを教えてください」

……みたいな質問を、就職活動という場では、ES、面接どちらにせよ死ぬほどよく見かける。

私はこの質問がニガテだ。


フィクションでは、挫折とその克服は必ずと言っていいほど描かれるが、僕の人生にそんな大それたものはあっただろうか。
そもそも挫折とは如何なるものなのだろう。

けだし挫折を手に入れるためには、まず強い意志というものが必要なのではなかろうか。目的とか目標とか言い換えてもいい。

「何かを成し遂げたい」「こうありたい」などという自己実現欲求を持たぬ者には、挫折など手に入らない。

そして歩かなければ転ぶこともないように、当然その欲求を充足させるために懸命な努力も必要不可欠である。

HIPHOPなどでは「No pain No gain(痛みもなければ得るものもない)」という格言がよく引き合いに出されるが、そのpain(挫折)を手に入れるためには、当然strain(懸命な努力)が必要なのだ。
つまり、「No strain No pain」なのである(あ、こいつ韻踏みたかっただけだ)。

閑話休題。
では、私はこの人生でどうなりたくて、その為にどんな懸命な努力をしたのだろう。
結局私が冒頭の問いに答えられないのは、この問いに答えられないことと同値関係にあるのだ。

では、意志方面ではなく努力、つまり実績方面でアプローチしてみよう。願望という抽象的なものよりも、僕が実際に成してきたものは、思い出しさえできれば具体的に言い連ねることができる。
僕は何を頑張ってきたのか。そこから、それは僕がどうなりたくて頑張ったのかを考えてみよう。

そこで、過去の人生を振り返って思う。
僕の過去の努力は、多くの場合、何かの「手段」ではないことを。
僕が時間と情熱を費やしてきたほとんどは、その行為自体が「目的」であることを。

例えば、小学生の時すすんで色んな勉強をしたことも、合唱の伴奏をしたことも、ただたまたま持っていた才能を発揮できる場が用意されていただけ。もっといえば勉強やピアノそれ自体が楽しかっただけ。

例えば、中学から歌詞を書き、小説を書き、高校の文化祭では毎年の様に企画に携わり、演劇の脚本まで書いたことも。別に何か新しい自分になりたかった訳じゃない。誰かのためになりたかったなんていうのも、後付けでしかない。
僕はただそれをするのが好きで、もっと言えばただいい作品が作りたかっただけだ。……なんて言うとちょっとかっこいいけども。 

勿論それも目的と呼べるのかもしれないが、それは外的に定義される目標じゃない。だから、どんな酷い作品を作っても、極論僕が認めればそれは挫折にはならない。というより、どんな作品/創作体験にも必ず学びがあり、発見があるもので、それは失敗成功で区切られるものではない。さらに言えば、その学びや発見にはあまり再現性がない。就活のことを考えると、だけども。

ちなみに、ガクチカの鉄板である部活はどうかというと。
僕は意外にも(?)高校までずっと運動部だった訳だが、そしてそれなりに頑張っていてもいたんだけれど。何かしら目標とかも立てていたのだけれど。
別になりたい自分像があってとか、憧れがあってとか、そんな理由で目標を立てたかといえば、そうじゃない。
僕はただ、「自分の居場所で刺激的に過ごすための、届きそうで届かなそうなほどよく挑戦的な数値」を設定していたにすぎない。

部活っていうのは狭い世界の学校の中では、割と大事なコミュニティである。つまり、できれば居心地の良い場所でありたい訳だ。だが、周りに比べて練習のやる気がないと、なかなかそう上手くはいかないだろう。
だから名目上でも目標を設定して、練習に意義を生みだしたのだろう。努力と工夫で、目標へ向かっていく。まるでゲームだ。

「ほどいい難易度感のゲームって楽しいよね。」
つまるところ僕の人生はそういうことだったのではないか。

僕は何かになりたくて努力していたのではなく、挑戦する、達成するというそれ自体の快感を得るために努力していたのではないか。
小中高、サッカー、バスケ、陸上と競技を転々としていることからも、それは明白だ。同じゲームを二度はやりたくないのだ。

思えば、受験もまさにそういう感覚だった。
高校も大学も、「自分がギリギリ合格できそうな一番上のランク」で、かつ立地が都合がいいものを選んでいた。そこに内実や、合格した後のことなどは何も鑑みていなかった。空っぽだ。

だって仕方じゃないか。僕はミライを希求していないのだから。

結局はそこに落ち着くのか。じゃあ、次回!
「なぜ僕はミライを求めることが出来ないのか?」
それを深堀りしていくとするかなあ。(疲れすぎてどんどん文体緩んできてしまっている)

そういえば、今日初めて本選考の「お祈り」を戴いた。実際には、お祈りとは書いてなかったけど。
受験でも不合格もらったことないのに!(ガンダム並感)
だからなのかな、挫折に慣れていないからなのか、なんだかとても落ち込む。

うーん。挫折挫折挫折・・・
僕はやはり今まさに、現在進行形で挫折しているのではないだろうか?

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