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憂鬱との付き合い方 ~お薬貰ったし 飲まないし~

体と心のどっちにここまで連れて来られたんだろう
どっちもくたびれているけど
平気さ お薬貰ったし
飲まないし

『話がしたいよ』BUMP OF CHIKEN


2月、くそ忙しい。
正直病んでいる暇もないほどになぜか仕事にずっと追われている。
3連休なのに休めている気が全くしない。

なので、本当はnoteなんて書いている場合ではまったくないのですが、
「書きたいことは鮮度のあるうちに」がモットーですので(そうだったんだ)、覚書として軽く書いておきます。


テーマは「鬱」あるいは「鬱病」との付き合い方について、です。
もちろんこれは私個人の場合ですので、この付き合い方が正しいとか認めてほしいとかいう意図ではない旨、ご了承ください。

年末、私はようやく自分の心がやばいかもと思い心療内科に行く決心をしました。ずっと病院に罹るつもりはなかったのですが、動悸という身体的な症状が出たことで、さすがに行くことにしたのです。
そこでSSRI、いわゆる抗うつ薬を処方してもらいました。

しかし、年末年始に帰省したことで、一時的に症状は改善されました。
凝り固まったような心が実家のぬくもりで融解し、「ああ、自分ってこうだったな」と、まるで自転車の乗り方を覚えた時のように、自然と自然な私を思い出すことができたのです。

そこで私は薬を飲むのをやめました。
(というか一錠しか飲んでない)
(飲んだ時はなんか気持ち悪かった記憶)
(多分副作用)

もちろん、そのまま飲み続ければ化学的な寛解も目指せたかもしれません。
しかし、それをしなかったのは、
炬燵にくるまって美味しいものを食べてゲームをしている時に、
久しぶりの健康な心というものを感じてしまったからだと思います。

その時は、今年はだらだらと弛緩をテーマに生きていこう~と思ったものでした。下の記事ではそういう気持ちを書きました。

しかし、いざ新年仕事が始まり、
当然去年の私と劇的に変わった、なんてことはなく。
むしろ年始だらだらしてたせいで仕事に追われまくり、ミスもしまくり、
またちょっと病みました。

その結果、やっぱり頑張らないというのは無理だ。
ダラダラしながらも、頑張るところでは頑張らないと駄目なんだ私は。

そう結論づけることになったのが、
2024年のテーマを考え直したのが、以下の記事です。

タイトルにもあるように、
「弛緩と緊張」、これを上手く使い分けながら、
あるいは上手く共存させながら、
健康に生きていきたいというお話でした。


私は自分の好きなことに関する仕事につきました。
だから仕事をしていて楽しいと思うことはたくさんあります。
しかし、同時にしんどいと思うこともたくさんあります。
好きだったものなのに、見たくもない時がたくさんあります。
仕事のことなんて忘れてしまいたい時がたくさんあります。

私は頑張りたいし、頑張りたくありません。
休みたいし、サボりたいし、でも努力したいし、結果を出したいです。

だから、
頑張るために頑張らない。
頑張らないために頑張る。

そんなへんてこりんで、オクシモロンな結論にたどり着いたのです。


さて、前置きが長くなりました。
この一見矛盾した私のアティチュードは、もしかしたら「鬱」に対する私の向き合い方とそのままパラレルの関係なのでは?と最近気づいたのです。

つまり、
私は自分の「鬱」もしくは「鬱病」に対しても、相反する気持ちを抱いていて、それがそれに対する向き合い方に現れているのではないか、ということです。


そもそも。
このストレス社会において、
もしくは価値観の多様化・社会規範の後景化により、
病んでいる人は昔よりずっと多くなっているような気がしています。

雑な論ですね。
別に時代的に多くなっているかどうかという変化量はどうでもよく、
体感として周りに多いような気がするという話です。
そして、こんなnoteを読んでいる人も多かれ少なかれ心に何かしら抱えた人が多いのだと思います。
(特に私の周りは就活や卒業周辺で病んでいる人が非常に多い)

で、問題は、その人の何人が病院やカウンセリングなどに行って、診断なり治療なりをしているかということです。

もちろん人は簡単に「死にたい」とか言うし、
カジュアルに「鬱」などと言ってしまう生き物ですが、
しかし、本当に学校にも行けないほどふさぎ込んでいるのにもかかわらず、
それを「病」であると診断されている人は多くない印象です。

鬱病が甘えではなく、脳の病気であることは最近周知されつつありますが、
しかし、難しいのは、自分が病気であることを認めたがる人ばかりでもないということです。


まあ、少なくとも私はそうでした。
大学3年生の頃、就活始めたての頃が私にとって人生最大の鬱期でしたが、
病院に行くという選択肢はほとんどありませんでした。

家族や親友に遺書まで書いて死のうと思ったのに、
それでも死ねないから苦しんだのに、自分を鬱病だとは認められなかった。

それはある意味で、
「就活が無事に終われば、大学を無事に卒業できれば、元の自分に戻れるはず」という期待を持っていたからかもしれません。

実際には無事に内定をもらい、なんとか卒業を果たしても、
私の鬱っぽい傾向は完全には治りきらなかった訳ですが。
(多分、捻挫と同じで再発しやすいものなんですよね鬱って)


何はともあれ、「元の自分に戻れるかも」という期待は、
言い方を変えると「病気を自分の性質として内面化したくない」という欲望とも言えます。
私のアイデンティティの中にそれがこびりついてしまうような、何かが確定してしまうようなこわさが、「診断」というものにはあると私は思います。

しかし、一方で「鬱」だと認めてほしい気持ちもまた、大きくあります。
私は長らく自分のことを「鬱病かどうかは知らないが、鬱病だってことにしないとしんどいくらいには憂鬱である」という状態だと呼んでいました。

人は何かがうまくできなかった時、その責任を「病気」に託してしまいたくなる時があります。(最近だと、病気以外にもADHDやASDといった障害も広く認知され、私もそうじゃないかと考えている人が増えていそうですね)

これは自分の「できなさ」の所在をある意味では自分の外に委託しているとも言えます。一般名詞で名づけられることにより、個人の問題ではなくなる、という感覚かもしれません。
こうした「自分のできなさを外部化したい」という欲望もまた、精神的に参っている人の多くが持っているものではないでしょうか。


もしかしたら多くの人はそのどちらかに偏ることが多くて、
前者の(病気を内面化したくない)人は病院に罹らない傾向にあり、
後者の(できなさを外部化したい)人は病院に罹ろうとしがちなのかもしれません。

あるいは私みたいにどっちつかずの(どっちの欲望もそれなりにある)人もそれなりにいて、Googleで定期的に「鬱病診断テスト」とか調べて受けて「重度」みたいな結果を見て心を慰める割には、肝心の病院には行きたがらないみたいな人も多いのかもしれません。


そんな「鬱を言い訳として慰みには使いたいけれども、自分の(長く付き合っていかなければならない)病気という性質としては確定させたくない」
わがままな私だからこそ、冒頭でお話しした「弛緩と緊張」みたいな態度に落ち着いたのかもしれません。

自分のことを鬱だと思いたいときは自分を甘やかして、
自分が甘えていると思ってしまうとき(何かを乗り越えれば元に戻れるはずと期待してしまうとき、と言い換えてもいい)は自分を許せるように頑張って。

そうやって騙し騙し働いていくのもよいじゃないか。
白黒はっきりしなくたって、グレーゾーンのまま、
生死不明の猫も観測しないまま、生きていくのも悪くないかな。

私に合っているのかな、なんて。
そう思ったら私は少し楽になりました。

きっと色々な人がいて、
色々な受け止め方、受け止めたがり方があると思うけれど、
私のケースが何かの役に立てれば幸いです。





土曜日、一歩も家から出れなかったけど、
何の文化的なこともできなかったけど、
そういう日があってもいいよな。
そういう日も今の私にきっと必要だ。
たぶん。


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