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脳の熱を冷ます

何も考えられない。

最近そう思うことが増えた。

大学のレポートや課題をする時も、就活でESを書く時も、将来のことを考える時も。

「なーんもやるきでん!かんがえられん!」

と言いながらスマホを開き、ゲームやらSNSやらで無理矢理報酬系を満たす日々だ。


そう、この報酬系とやら。

例の通り例のごとく詳しい意味は知らないので、あまり真に受けないでもらいたいが。

私はこの「なーんもできん!」からのスマホを触る時、自分の脳が熱を帯びていると感じる。

こういう時は決まって何も出来ない。正確に言えば、頭を使う作業が何も出来なくなるのである。

これが課題とか、就活とか、そんなどうでもいいことにしか関わらないのならまぁどうでもいい(よくないが)。

しかし散々今まで書いた通り、私の本分は「創作」である。特に小説と作詞には、相当な(量なのか質なのか)思考が要求される。

とすれば、この「脳のほとぼり」状態(いま勝手に命名した)は、私の創作活動を阻害する。もしくは、モチベーションから絶ってくるのだ。


これは非常にゆゆしき事態である。

この「脳のほとぼり」を冷ますための対策を、私は現時点で2つしか知らない。

それはスマホやPCから距離を置くこと。

そして、外を散歩することだ。

そうして、ぼーっとした熱っぽい脳を冷ますと、なんだか思考が上手くまとまる気がしてくる。

ちなみにだが。例えばこうして文章を書く時、作詞がノリにのってきた時、小説を書き終えた時なんかは、脳がめちゃくちゃ熱い。

もうアドレナリンがドパドパ出てるのが分かるくらい、興奮していたりする。

それが、創作をしていて1番楽しい時なんだが。

これは、今まで語ってきた「脳のほとぼり」とは質が全然違う。ぼーっとしたような感じではなく、芯の部分ではどこか冷静で。

そして何より大事なのが「脳のほとぼり」状態では、この「創作の熱」には辿り着けないということだ。無駄な熱を取り除いてからでないと、エンジンは火を吹かない。よく分からない喩えだ。


それなのに、「脳のほとぼり」状態は、生きてる分には何も悪くない。幸せであることも多い。

好きな人と一緒にいるかのような、甘ったるくて、何も生産的でない、そういった時間を過ごしていたりもする。

だけど、たとえその時間がいくら幸せであろうとも、私はその幸せを肯定できない。そればかりではいられない。

好きな人と無為に過ごし続けるのもいい。

YouTubeに一日を溶かすのもいい。

だけれども、それだけでは人生を埋められない。



繰り返しになるけども、僕が僕である理由は「創作」だから。

脳のほとぼりを冷まして、創作の熱にあてられて。

僕は、そうしてやっと「生」を実感できる生き物なのだから。



さて、先週締切の原稿を書き上げるとするかな。


 

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