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私のお笑い好きの原点は父の愛する嘉門タツオ氏と落語だった。

発達でこぼこシンママのゆずです。

実は私は関西生まれではありません。
自己紹介にも書いた通り、関東で生まれ、
東北、関西で育った女です。
noteでも関西弁も標準語のセリフも
混じっているのですが、
普段も友達がびっくりするくらい
ごちゃ混ぜ状態。
ただ中途半端なだけとも言えますが、
いえ、ここはバイリンガルと呼んでいただきたい。

口さがない友達は「エセ関西弁やろ」と呼びます。
(関西人は関東人が話す関西弁に厳しめです。例えるなら、名探偵コナンの服部平次は許されない感じです。
「せやかて工藤」、なんて誰もいいません)

また、マクドナルドをマクドと呼ぶことが
どうしてもできません。
くっ…背中がむずむずします。
友人知人の中でも
いまだに1人、マックを貫いている人間です。
関東で生まれた女の、最後のプライドや。

何を隠そう、関東で子ども時代を過ごした私は
吉本新喜劇を土曜日学校から帰って
観た記憶はありません。
(←昔は土曜日半日授業だったんですよ!
家に帰ってお昼ご飯を食べながら新喜劇を観たらしいです)
「関西人なら土曜日は新喜劇やで」と
ちょっと鼻でばかにされ、
ハンカチを噛み締めました。
今なら、生でなんばに新喜劇見に行ったろうや
ないか。


そんな私はマニアックな芸人ファン
ではないですが、
吉本興業を就活で受けたレベルには
お笑いを愛しています。
だって、挑戦できるのは一生に一回ですもの。
まあ箸にも棒にも引っかからず敗退したのですが。

マネージャー職で受ける人数の多さには
圧倒されました。

新人芸人として
吉本総合芸能学院(養成所)NSCにも
入っていたら
人生変わっていたかもしれませんね。


懐かしのラジカセで聴いたCDたちは。


私のお笑い好きの原点は、父だったように
思います。

父は何故か嘉門達夫氏をとても愛していました。

今の子どもたちの知名度はわからないですが
「チロリー鼻からぎゅうにゅう〜♫」
のあのお方です。
平成前半の小学生たちは一度は口にした
ことがあることでしょう。
男子たちのふざけるときの常套句。
他にも1991年「替え歌メドレー」が82万枚の大ヒット。
「アホが見るブタのケツ」「ハンバーガーショップ」…
家ではしょっちゅうCDが流れ、
私の脳内に確実に刻みこまれました。
どんな英才教育を。

そして私の知っていた嘉門達夫氏は、
嘉門タツオに改名されていたという事実を
今回の記事を書くために
知りました…。(改名は2017年らしいです)


また落語も、名作桂米朝の全集CDが
父の部屋にありました。
あの人間国宝、桂米朝さん。
落語をカセットテープに録音して
寝る前に聞くという、
なかなかお目にかからない
小学生でありました。

もうタイトルはほぼ忘れてしまいましたが、
「らくだ」、「死神」が一番記憶に残っています。
何度も何度もオチまでわかっているのに
繰り返し聞いていました。
関西弁のテンポやリズムは
落語で覚えたとも言えるかもしれません。
←その割に上手にはなれないのはなぜ。

いまだに落語は好きで、叶うならば
生で楽しんでみたいと思っています。
ソロ活落語なんて粋ではなかろうか。


文化、価値観を広げてくれた父


こう考えると、お笑い好きは
環境によって作られるの
かもしれません。
親が与える影響は多大ですね。
白黒のウルトラQやゴジラ、特撮もの。
(カネゴンとかピグモンとか弟と一緒に遊びましたね!)
お笑い以外にも、
さまざまな文化に触れさせてくれた
父には感謝しています。

父の部屋に忍び込むと、
マンガ、古典文学集や医学書など詰め込まれた本棚。
20世紀少年、スラムダンクは父の部屋で覚えました。

映画THE FIRST SLUM DUNKを
15回観た父は、
いずれ出家したいらしく、
坊さんの普段着作務衣をいつも
着こなしています。

でも、プラモデルが
まだまだあれこれ
ほしいところを見ると、
まだ俗世間を捨てきれていないよう。

当分出家は先かな。




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