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Everything (it's you)

長く続いた冬が終わった。
雲一つない青空の隅の方、春が顔をのぞかせている。
部屋の掃除をしていた私は、何の気なしに卒業アルバムの革の表紙を開いた。
広い世界に飛び出す直前、毎日を懸命に生きて、誰かを想っていたあの頃。
1枚はらりと落ちたのは、教室ではしゃいでいる写真だった。
使い捨てのインスタントカメラで撮影されたと思われるその1枚。
画質こそ少し荒いものの、今にも青春が飛び出してきそうな勢いがあった。
マキちゃん、山口君がいて、ああ芝崎君だ、懐かしい。
どうしているかな、元気してるかな、と心の中の宝箱を開ける。

21世紀になって初めて迎えた夏に、制服のスカートを短く切った。
短すぎじゃないかと母は顔をしかめていたけれど、「みんなこれくらいだよ」と笑った。
イーストボーイのハイソックス、夏のブラウス。
チャームをつけた通学かばんを肩にかけて、ローファーに足を通す。
MDウォークマンには流行りの邦楽。
デコレーションしたガラケーを持てばもう無敵だった。
覚えたばかりのメイクをして、学校ではプリクラ交換に勤しんだ。
昼休みのバレーボール、数学のテスト、林間学校。
放課後に食べるアイス。
毎日が楽しくて仕方がなかった。
隣のクラスの芝崎君に出会ったのはそんな夏のはじまりだった。

友人のマキちゃんに借りていたJUDY AND MARYのCDアルバムを返しに行ったとき、教室の入り口ですれ違った彼に目を奪われた。
その場に大勢いた男子の中で、何故芝崎君だったのかは今でもわからない。
かっこいいかかっこよくないかと思い出せば、まあスタイルはいいのだが、いわゆるイケメンかどうかといえば、そうでもないかもしれない。
それでも当時の私にしてみれば、周りの男子と少し違う雰囲気をまとっているように見えた。
彼の名前を友人に尋ねると、マキちゃんはにやにやしながら、彼の名前、付き合ってる彼女はいないこと、さらにはメールアドレスまで教えてくれた。
「教えてもいいって言ってた。メールしてみなよ」

『友達になってほしいです』
あ、い、う、え、お……とボタンの1つ1つ、1回1回に願いを込める。
変換して一息。
本文が完成したはいいけれど、これでいいかなと迷う。
送信しよう、送信するぞ、いや、本当に送信しても大丈夫かな。
マキちゃんはああ言ってはいたけれど、本当にいいのかな。
彼の友達はみんな『進んでる』から、もしかしたら彼も『進んでいる』かもしれない。
左上の紙飛行機マークの着いたボタンを押せば、彼にメールが送られる。
突然不安になってしまった。
携帯電話の本体を何回も閉じたり開いたり、アンテナを伸ばして何度か振ってみたり。
えーいもう、と目をつむって紙飛行機マークを押そうとした瞬間、3和音の着信メロディが鳴った。
『芝崎です。マキさんから聞きました。』
マキちゃんってば私のメールアドレスを彼に教えていたのか、とひとり恥ずかしくなった。

『模試の結果が返ってきた?数学やばい!』
『私もやばい!ギリギリ追試はセーフだったけど、本当にやばい』
『えっマジ、俺追試なんだけど』
『頑張って!』
1日何通かやりとりするメールで、少しずつ彼のことを知っていった。
音楽番組とお笑い番組をよく見ていること。
でもテレビよりラジオのほうが好きなこと。
ファストフード店でアルバイトをはじめたこと。
中学校では剣道部の副将をやっていたこと。
数学と化学が苦手なこと。
2つ年下の弟がいること。
モーニング娘では後藤真希が好きなこと。
なんてことはない雑談のやりとりを紙飛行機に重ねるたびに、思いを募らせた
彼からメールがくるととても嬉しくなり、逆に返信がこないととても不安になる。
『ごめん、バイトだった』
『お疲れさま。バイトいいな』
『雪村さんはバイトしないの?』
『親がちょっと厳しくて。でも楽しそう、やってみたいな』
『いいじゃん、応援するよ』
ふふふと口元をほころばせていたら、お母さんが不思議そうにこっちを見ていた。

やがて夏休みになった。
林間学校も、部活も、夏期講習のときも、文化祭準備をしている時も、私の視界に彼はいた。
周りの男の子たちより頭一つ分高い姿は、群衆の中でもすぐに見つけられた。
どんな話をしているんだろう。
あれだけ背が高いと手足も長いのかな。
彼女はいないって言ってたけど、好きな子はいるのかな。
どんな子だろう。
ぼんやりしてふとした瞬間に目が合ったときは、気持ちが見透かされたような気がした。
0.5秒が限界、目をそらしてしまった。
それでもやっぱり気になってもう一度そっと彼の方を見やると、彼もまた恥ずかしそうにそっとこちらを見ていて、また慌てて目をそらす。
そんなことを繰り返しながら、心の中で彼のことを考える比率がどんどん大きくなっていった。
ああ彼と話してみたい。
もっと彼のことを知りたい。
もっと近くで彼の声を聞きたい。
「それさ、もう完全に好きじゃん」
夏期講習の帰り道、マキちゃんはアイスを食べながら言った。
好きとかそんなことを言われたら、もうそうとしか思えなかった。
私は彼のことが好きなんだ。

夏休みが終わり、彼とはCDの貸し借りをする仲になっていた。
貸し借りといっても直接やりとりをするのではなく、マキちゃんや男友達を介してのやりとりだった。
3カ月くらいメールのやり取りする中で、マキちゃんの計らいもあり彼のグループの近くで話を聞く機会が増えた。
少しくらい会話をしてもいいのだろうけれど、輪の中で彼の声を聞いたら顔が真っ赤になってしまった。
「また真っ赤になってる。大丈夫?」
大丈夫じゃない!
彼の友人たちの話もマキちゃんの声も頭に入ってこない。
これはマズイとわかってるのに、彼の声や表情しか入ってこないのだ。
困った、とチラッと彼の方を見ると、彼もまた耳を真っ赤にしていて山口君からからかわれていた。
2人そろってそんなだったからろくに会話らしい会話はできなかったのだ。
それでも毎日は楽しく光り輝いていた。

その夏にMr.Childrenがベストアルバムを発売した。
その日彼が貸してくれたのが、『肉と骨』と呼ばれるそのベストアルバムだった。
帰宅し、借りたCDを新しいMDにダビングして、ウォークマンに流す。
その中でふと「Everything (It's you) 」の一節がやけに心に焼き付いた。
――愛するべき人よ、君に会いたい。
――例えばこれが恋とは違っても。
「恋とは違うけど愛する人に会いたいなんて、桜井さんってばさすが浮気者だなあ」
なんてことをぼんやり思いながら、窓から夜空を見上げていたら彼からメールが来た。
『今なにしてる?』
『今?ミスチル聞きながら空見てるよ』
『なにそれ楽しそう。何聴いてるの?』
『なんだと思う?』
『なんだろ、Tomorrow never knows?』
『あっそれもいいね。でも違う』
『なに?気になる』
『骨盤の、Everything (It's you)ってやつ。なんかいいなあって』
毎日、全力で走って笑って恋をする中で、曲の中の『僕』のひたむきさに心を打たれた。
こんなふうにひたむきに、誰かを好きになりたい。
この気持ちを生涯守っていきたい。
いつか時間が経って、これが恋とは違うものになったとしても、きっと私は忘れない。
きっとずっと覚えているだろう。
そんなことを夜空に思った。
彼に恋してから、夏が通り過ぎた。
すぐにやってきた秋も今終わろうとしている。
季節を積み重ねるように、紙飛行機がどんどん増えていった。
メールボックスはもう満杯だ。
──ああ、こうやって気持ちが溢れていくんだなあ。

翌日の放課後。
ベストアルバムの歌詞カード、「Everything (It's you) 」のページに便箋1枚を挟んで、彼に返した。
『芝崎君のことが好きです。もっとお話したいです。付き合ってください』
彼は委員会で不在だったから、また山口君に頼んで渡してもらった。
気付いてほしい。でも気付かれなくてもいい。
付き合いたい、付き合えなくてもいい。
どちらでもよかったのだけれど、もう私の気持ちが限界だった。
0.5秒を目を合わせるのが限界な恥ずかしがり屋の私と、目をつむって勢いで紙飛行機を飛ばそうとする私。
2人の私がいて、そのうち後者の私があのとき飛ばせなかった紙飛行機を思いっきり投げたのだ。

球技大会を間近に控えた放課後の教室はいつもより賑わっていた。
「えっ、告ったの?!」
マキちゃんが大きな目をさらに大きくして驚く。
「うん」
「返事は?」
「まだ」
「どういうこと?」
「手紙、渡したの。気づけば返事くれるかな」
なんでユキはそんなにのんきなの、とマキちゃんに呆れられる。
勢いよく教室の引き戸が開いたのはその瞬間だった。
「雪村さん!」
放課後の教室にどよめきが走る。
彼は肩で息をしていた。
彼の顔を真正面から直視するのは初めてだ、と気がついた瞬間に心臓が高鳴りはじめた。
自分でも、顔がどんどん熱くなっていくのがわかった。
彼をちらっと見るとやはり耳まで真っ赤になっていた。
そうして何秒たったんだろうか。
「俺も……」
言い終えるか言い終えないかのうちに、黄色い歓声があがった。
マキちゃんが口を手で押さえながら、半ば涙目で私の背中を叩いた。
「よかったね、よかったね」
「マジすごい!ちょっと写真撮ろう写真!」
誰が言い出したかは覚えていない。
偶然にもアルバム作成委員会がインスタントカメラを持っていたのだ。
まるでドラマめいた世紀の瞬間に盛り上がる。
耳まで真っ赤にして私と彼を真ん中に、大はしゃぎするマキちゃんやいつのまにそこにいたのか山口君らまで巻き込んで、その一瞬世界が光り輝いた。

翌朝、駅で待ち合わせた私たちは、一緒に手をつないで登校した。
メイン通りとは少し離れたとこに「高校通り」があった。
コンビニがない代わりに交通量も少なく、緑道のような小道だった。
駅からだと少し遠回りになるので、メイン通りより閑散していたが、それが校内カップルたちに重宝された。
最初に手をつないだ時、彼が左手を差し出したときは案の定顔が真っ赤になってしまった。
どうやってつなげばいいのかわからず戸惑っていたら、彼が手に取って指を絡めてくれた。
そのときに腕の長さと手の大きさを知る。
彼の声が前よりずっと近くで聴こえる。
心臓が体の中でより一層高い音を立てて鳴り響く。
彼を見上げると、これまた案の定彼も耳を真っ赤にしていて、それが妙におかしかった。
「芝崎君、真っ赤だよ」
「雪村さんも」
初めて感じた彼の手の暖かさに、少しずつ、少しずつ気持ちが落ち着いた。

それから私たちはほぼ毎朝一緒に登校をした。
昨日の歌番組、深夜ラジオ、球技大会の種目、化学のテスト、進路希望調査、友達カップルの話。
帰り道も待ち合わせをして一緒に帰った。
それでも話題は尽きることはなかった。
それまで寄ったことのなかった市民公園のベンチに座って、遠くの山に沈んでいく夕日を眺めた。
日が暮れた後キスをして、そっと抱きしめあう。
優しい紙飛行機を飛ばし合う日々が、どうか来年も再来年も続くように祈るように手を握る。
ありふれた高校生活は愛しさに満ちていた。
2人でイヤホンを分け合って聞いて
「いいねえ」
「いいよね」
なんて笑いあって、ああきっとこれが青春なんだなあって。
クリスマス、デートした遊園地。
イルミネーションを見ながらキスをした。
背伸びして買ったペアリング。
嫉妬しての喧嘩もした。
『ありがとう』
『ごめんね』
初体験は彼の部屋だった。
帰り道のアイスクリーム。
自転車の2人乗り。
緑道の木漏れ日の下で、将来の夢を語った。
春夏秋冬、青春の全てが彼と共にあった。

「2人はなんだか似てきたね」
ある日マキちゃんが言った。
「似てる?」
「雰囲気が似てる。一緒にいる時間が多いからじゃないの」
「そうかな」
たまに怒ってたまに泣いて、それでも一緒に笑って。
同じ空気の中で、お互いを見ていた。
毎日彼のことが好きで、毎日ひたむきに生きていた。
彼のためならなんでもできると思ったし、守りたいとすら思っていた。
この光り輝く一瞬のひとつひとつを守っていきたいと感じていた。
この日々はきっと生涯の宝物になる。

2年くらいして、私たちは握った手を離した。
それから20年という決して短いとは言えない歳月が流れ、時代は大きく変わった。
携帯電話はもうほとんど見なくなったし、あれだけよく聴いていたMDなんてかけらもない。
三和音だのセンター問い合わせだの言っていたら笑われるだろう。
CDはギリギリあるけれど、もう今時の高校生はCDの貸し借りなんてしないのだと思う。
彼も私もたくさんの艱難辛苦を越えて大人になった。
苗字が変わったし、守るべき家族がいる。
神経も図太くなったし、もういちいち耳まで真っ赤にしてる子どもじゃない。

それでも変わらないのは、一緒に歩いた高校通りはまだ健在ということだ。
相変わらず校内カップルに重宝されているらしい。
2人でよく聞いたMr.Childrenもまだ音楽シーンの最前線で活躍している。
青春がはじけたあの瞬間には戻れないけれど、宝物はこの手にある。
毎日を懸命に生きて、誰かを想っていたあの頃の生き方が、宝物としてここにある。

『愛すべき人よ君に逢いたい、例えばこれが恋とは違くても』
なんて歌詞があったけれど、今ならその意味が少しわかる気がする。
昔懐かしい学生時代の恋人への思慕。
あるいは浮気者が歌う純情。
いつか時間が経ってあの日の恋心が違うものに変わってしまっても、私は彼のことを忘れないし、あの頃の生き方を忘れたくない。
あの頃、私の喜怒哀楽も春夏秋冬も、全ては君と共にある。

「元気してる?」

空に透明な紙飛行機を飛ばすと、写真の中の君がまた少しだけ笑った。

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