チキン南蛮

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今宵の猫のように

「おつかれさまです、お先に失礼します」 アパートの一室の扉を開けると、ひんやりとした夏の夜の空気に包まれる。 時計は20時を回っていた。 駅へ降りていく線路沿いの坂道を下る。 ああ疲れた。 いったい今日は何時間働いたんだろう。 お昼ごはん何食べたっけ。 そもそも食べたっけ、あれどうだったっけ。 笑い声がどこからから聞こえた。 カレーの匂いが香る。 お腹と涙腺がキュッと収縮した。 今の職場、大宮駅近くの訪問介護事業所に入職して1年は経った。 人手不足に次ぐ人手不足、病欠に次ぐ

    • ふたつのワンスター

      全身のコーディネートの中で、一番力を入れてお金をかけているのは靴だ。 洋服そのものにはわりと適当に選ぶわりに、靴、特にパンプスに対してだけは異常なほどのこだわりを見せる。 執着に近いものもあって、買い物に付き合ってもらっている友人に呆れられることもしばしばあった。 『丸トゥのパンプス、全体的にオフホワイトでヒール部分は5cmくらい。甲ストラップ付で、ボタンは木製のクローバーモチーフ。インソールは小花柄。やや幅広。長く立っていても足が痛くならず、駅の階段を駆け下りることができ

      • 2011年8月、石巻の記憶

        <今やれることを> 2011年8月。 東北沿岸部へのボランティア派遣が決定しました。 3月下旬のさいたまスーパーアリーナでのボランティア活動で知り合った人の紹介でした。 宮城県石巻市内の福祉避難所での福祉支援です。 知人からメールをもらい一瞬ためらいました。 本当に行っていいのだろうか、と。 SSAに避難した人たちのほとんどは、原発事故で故郷を亡くした人たちでした。 沿岸部で避難生活を送っている人たちは、家族や友人を亡くした人たちです。 どちらも亡くしたことはないから苦

        • さいたまスーパーアリーナが避難所になった10日間。

          2011年3月11日14時46分、東北地方太平洋沖地震が発生。 その50分後、大津波が発生し、原子力発電所の事故も起こりました。 目の当たりにした大災害。 友人や知人、その家族たちも多く被災している。 一方、自分たちの生活も計画停電や物資不足など混乱が続いている。 原発事故もどうなるのかわからない。 「なにかをしたい」 「なにができるのか」 「なにかをしたいけどどうしたらいいのかわからない」 そんな心境の中で迎えた震災5日目の3月16日。 耳にしたのが『2000人の被災者が

        今宵の猫のように

          Everything (it's you)

          21世紀になって初めて迎えた夏に、制服のスカートを短く切った。 短すぎじゃないかと母は顔をしかめていたけれど、「みんなこれくらいだよ」と笑った。 イーストボーイのハイソックス、夏のブラウス。 チャームをつけた通学かばんを肩にかけて、ローファーに足を通す。 MDウォークマンには流行りの邦楽。 デコレーションしたガラケーを持てばもう無敵だった。 覚えたばかりのメイクをして、学校ではプリクラ交換に勤しんだ。 昼休みのバレーボール、数学のテスト、林間学校。 放課後に食べるアイス。 夏

          Everything (it's you)

          南アルプスの滝にて

          新東名の森掛川インターを降りて北上した。 南アルプスの裾が拡がっている。 目的地はとある滝。 当時私たち夫婦はパワースポットをめぐる旅に凝っていて、その滝も隠れパワースポットとして地元ラジオで紹介されていたものだった。 ナビの言うままに走ってたんだけど、どうも調子がおかしい。 右に曲がれと言うのだけれど、目の前の車窓もどうみても1本の林道があるだけで右折できる道はない。 「右です」 「右です」 「右です」 何度もリルートを繰り返し、曲がれと言い続ける。 無機質なナビの案内音

          南アルプスの滝にて

          火曜日の宇宙人

          雪子先生が亡くなったのは、今にも雲が剥がれ落ちてきそうな朝だった。 あの雲はきっとズッシリとした重さを持っていて、埋もれた私はきっと窒息してしまうんだろう。 ニュースはこの1年に起きた出来事を矢継早に振り替えっていて、ああ今年が死んでいくんだな、なんてことを呟いていた。 地下鉄サリン事件、阪神大震災。 いよいよやって来る世紀末、ノストラダムスの大予言。 世界は本当に滅んでしまうのかもしれないって、その日の空をみながら考えていた。 私にはエレクトーンを習いたいなんて言った覚え

          火曜日の宇宙人

          あの日のメリークリスマス

          生まれてはじめて渋谷という街に来たのは、17歳のクリスマスイブだった。 ハチ公口の改札口のその先、交差点前には人が溢れかえっていた。 爆音で流れるクリスマスソングが空で合唱している。 夏の田んぼでよくみるカエルの合唱のようだった。 イルミネーションがともり始め、青や緑、黄色の看板が光り出す。 叫び声に近い笑い声は、夏祭りのどんちゃん騒ぎのようだった。 さすがにこれだけ混みあっていると会話もままならない。 「すごいね」 「ん?ごめん聞こえなかった」 「ううん、大丈夫。行こう

          あの日のメリークリスマス