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【孤独の本質】…それは過度な承認欲求。

お久しぶりです。トムです。

皆様にまず報告がございます。今月9月15日をもって、色々な方に応援していただいておりましたが「離婚」が成立する次第です。

昨年9月に弁護士から実家に手紙が届き、始まった離婚調停。こちらは弁護士を雇わず、すべて自分で調べて勉強して、なんとか色々な条件において、こちらが最低限したいことを形にすることができました。

大変でした…。
これも偏に皆さんのおかげ…否、これは孤独な戦いでした。疲れた…本当に。自分、お疲れ様…。(もちろん皆様の優しい励ましや応援の声あってこその正気の維持と…(((かと思えば壮絶かつ意外な妨害にあい)))…それでもめげずに理性を保ちながら戦った1年でした。応援してくださる方々…いやもう何を応援してるのかもわからないですけれどぉ、、、、こんな友也を支えてくださり、本当にありがとうございます。頭は上げないと生きていけないので頭は上がりますが、とにかく感謝と、そして友也これからも頑張って生きる💪…とだけ、固くお誓い申し上げます。)

●現状の孤独感について。

これはなかなか良かった誤算で、鳥取に居た頃よりも今の方がずっと孤独を感じていません。

毎週家族と話したり、友人と話したり、飲んだり、遊んだり、鳥取にいた頃と違い定期的に子供とも会い、ディズニーランドに行ったり、チームラボに行ったり、実家で甥っ子たちと遊んだり…など、
鳥取にいた頃よりずっと1人で背負って生きている感覚はなくなりました。

「寂しい」という感覚は本当に皆様のおかげで全くと言っていいほど感じていません。

改めて、本当に、こんな自分に良くしてくれる方々に、心から感謝です。

●離婚の原因

関東に戻ってきて、東京に出て一人暮らしをし始めて、色んな人と会いながら〝あぁ〜、今なら奥さんともっとうまくやれたかもな〟と思うところがあります。

それこそ調停でモラルハラスメントだなんだと具体的に持ち出される落ち度よりも「とっくに愛、枯れてます」っていうのが別れの本質ですから…。外的要因も多々ありますけど、相手のことが好きでいられたら離婚なんてしないわけですから。さらに言えば「人を嫌いになる」ってエネルギーが要ります。そのエネルギーを消費してまで私のことを嫌いになる努力をさせた要因ってなんだったろう?と、関東に戻ってからまた色々と経験をしてわかったこと。それは、

過度の承認欲求だったと思います。

●承認欲求、半分。自己満足、半分。くらいがいい…。

久しぶりの一人暮らしは、いろいろ経験して生活のイロハを学んでいることもあり、非常に心地良く過ごせています。

そんな中、色々経験して学んだからこそ、自分の心の保ち方として意識していることが、承認欲求半分、自己満足半分という自分の納得のさせ方です。

先の話に戻しますと、過度の承認欲求が離婚の原因であると私は考えているのですが、私は婚姻時代は妻にすべてを承認してもらいたくて、自分のこと…自分のやったこと、考えていること、すべてを妻に聞かせてきました。共感と理解を求めました。

その量はとんでもないもので、よくまぁ10年弱聞き続けてくれたなと思います。今にして思えばこれが愛を枯らす毒だったと思っています。

●承認欲求が強すぎるから「孤独になる」という負のスパイラル。

これは去年関東に帰ってきてから栃木の実家で過ごし、また東京に出てきて仕事をしながら一人暮らしをして、色んな人との交流が活発化するなかで他人を見ていてもわかるようになった部分です。

孤独な人は総じて承認欲求が異常に強く、個の世界に没入し、そこで独り言をずっと話しています。その独り言を誰かに聞いてほしいと熱望しています。そして共感し、理解し、さらには同化してほしい。自分の正義を絶対正義として讃え、その他の正義感は一度忘れてほしいとさえ、願っています。

その支配欲が結果的に当人を絶望的な孤独に追い込むことになります。

●妻の立場

今思えば潜在的に私はそういった支配欲を持って妻に話し続けていました。

東京に戻り、かつての私のような人の話を聞きながら、私は何度もフラッシュバックを覚え、かつ聞き役としての立場から、

ああ、妻はこの立場を10年間、耐えてきたんだな、と、やっと少しだけ(?)妻の気持ちがわかったような気がしています。

●求め過ぎたらダメ。ね…。

結局他人は他人、自分は自分、です。
自分の主義に100%の深部で心を揃えてくれる人なんて「その場だけなら可能」という人はいても「ずっとその深部で一緒に生きていける」という人は絶対にいません。

そこで「ずっと」を求めるから、無理強いとなり、洗脳となり、誤りとなり、過ちとなり、大切な人を失うことになります。

求め過ぎたらダメっちゅうことですね、
いやはや…わかった気でいてもみんなやっちゃってますよ。私関東戻ってきてからケッコーそういう人の相手しましたから。もちろん私も相変わらず人にやっちゃったし…。
ほんと、気をつけて大切なものを大切にできるように生きてくださいね。私みたくなっちゃダメだし、私もこれからは気をつけて生きます!

●自己満足しよう!

じゃあもう孤独を呑み込むだけなのか?そんな現実寂し過ぎます。私は色んな友達と遊び、バンドを2つ組んで活動し、親友何人かと月2〜3回は呑んだり、電話したり、家族とも交流して、孤独にならないよう十分に楽しく遊んで呑んで話して過ごしています。

ただ、とにかく遊んだり話したりはしても「全部の理解を求めない」ことだけ、鉄の掟にしています。自分の哲学、みたいなのが出てきたら、もうそこまででお終いです。ダメなんです、そこから先は孤独の庭で消化すべきテーマなので人に求めちゃダメ。

●だから作詞作曲する。

トムがどんな曲を描き、どんな詩を描いてるか?なんてほぼみんな興味ないと思います。いやある人もいるかもしれないけど、正直流行りとかバズは目的としていない自己満足の造形美の追求しかしていませんし、それしかする必要もないと思っています。

評価されないことを前提とした・とっても楽しい自己満足の時間を用意して、音楽が形になったら、それで良し、としています。
仮にアウトプットを迎えたとして、多少なり人に聴かれたとしても、解釈が正解で、私の理解は求めません。ど真ん中で音楽を理解してくれる人が現れたとしても、この深部で共に生きることは不可能です。

私の頭の中はマジで割と哲学中毒でイカれてますから、、、

と、とりあえず↑この本めちゃくちゃ面白いので読んでみてほしいです。

ここに維摩経やツァラトストラ、数学や科学や芸術史などを思考軸に加えると私のアイデンティティ…って感じです。

そのうえで学術的なことをするのではなくて、絵画やART的なことをするんじゃなくて、音楽を作り続けたい。

…はい、これが自己満足すべきテーマです。こんな話に付き合う必要は全人類にありません。

もうこういうのは趣味なんだし、自己陶酔して、自己満足してお酒が美味しいと一人で晩酌でもしながら孤独ごと呑み込んだら十分な話なんです。

そういうのに気付くの、遅かったなあ。、。、

それでもたまにはトムの話、聞いてあげてくださいね。笑
ずっとじゃなく、たまに。笑

●そして、生きる。

承認欲求50%、自己満足50%。わたしの2022年、四半期のテーマとさせていただきます。しっかり習得して、孤独を愛し、そして他者との繋がりも愛せる、そんな優しい人になっていきたいです。

えー、離婚という形になりましたが、だからといって気持ちや立場や関係や世界が変わるわけではありません。時間をかけて、現実的にも感情的にも、乗り越えていきたいと思います。

これからも応援のほど、何卒宜しくお願い致します。共に大変な時代や社会を自分を保って生き抜いていく同志であれたら、その支えのお役に立てたら、と思います。

これからも頑張って楽しみます。
最後まで読んでくださった方は神様です。
あっりがとーん🤗
次は難しい話書こうと思います🫡
またねー👋