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フェルメールと藤井聡太の共通点からシンギュラリティとの向き合い方を考える。

どうもこんにちは(こんばんは)トムです。今回はようやく自分の好きなことをテーマにnoteを書こうと思います。

●藤井聡太(将棋)とフェルメール(画家)の共通点

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みなさんは藤井聡太という棋士をご存知でしようか?現代の将棋界に彗星の如く現れた若干14歳にしてプロ入りし(史上最年少)、現在は19歳でタイトル四冠(史上最年少記録)という羽生善治以来の記録ラッシュマンであり、将棋の垣根を越えてメディアにも取り上げられる将棋界のスーパースターです。

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そして『真珠の耳飾りの少女』などの代表作で知られるバロック期を代表する画家ヨハネス・フェルメールはご存知でしょうか?有名な画家で、作品もテレビ番組や二次創作などで多用されるため、その作品を誰もが一度は見聞きしたことがあると思います。偉大な画家です。

●フェルメールの超絶技巧

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フェルメールといえば写真のような(写実的な)絵を描く画家の最高峰として有名です。というのもフェルメールの時代は1600年代中期と古く、当時はまだカメラや写真がない時代だったので画家はこぞって美しい陰影・光を表現する技巧を磨いていました。同時期の画家もレンブラント、ベラスケス、カラヴァッジオなど、いずれも写実性に富んだ画家ばかりです。そしてそのなかで特に技巧的に優れた光を描けた画家がフェルメールと評価されています。

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●フェルメールと藤井聡太が選択した学習スタイル

ここで話を一度テーマに戻します。藤井聡太は14歳でプロ入りし、現在19歳で四冠という天才棋士。そしてフェルメールは1600年代のバロック期を代表する写実主義の画家です。この2人には共通点があります。それは”技術革新を師”とした点です。

●フェルメールはカメラを。藤井聡太はAIを。師に選んだ。

先のフェルメールの説明では一つだけ若干の嘘をつきました。申し訳ありません。それは1600年代にはまだカメラや写真はなかったという記述です。ここは一先ず、歴史の変遷として、カメラのない時代だったからこそ当時の絵画は写実性が追求されてきた。その最高峰としてフェルメールが誕生した。…という流れを知っていただきたく、あえてほんのちょっぴり嘘をつきました。

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正確にはフェルメールの時代、歴史上はじめてカメラの原型となる「カメラ・オブスクラ」というものが開発されます。このカメラの登場というのは芸術史において非常に重大な出来事でした。端的に、ハッキリと言ってしまえば、上手に絵を描くことの意味が消滅しました。だいたい画家というのは綺麗な風景や肖像画などを描いてお金持ちに売って食い扶持を稼いでいたため、カメラという技術が現れることで写実的に描く価値がなくなってしまったのです。

そんな画家がみんなガッカリする技術革新が登場したなかでフェルメールだけは他の画家と違う態度でカメラと向き合いました。それはより写実的に描くためにカメラを利用するという…カメラという技術革新を自分の技巧の師として活用したのです。

これによりフェルメールは写実主義のバロック期において、もっとも光彩を表現した画家として語られる人物になったのです。

●将棋の歴史

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ここで藤井聡太の話に行く前に、将棋の歴史についても簡単に説明致します。日本の将棋史において欠かすことのできない存在。それは何と言っても羽生善治さんの登場です。

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この方については記録が多すぎて列挙しているとキリがないため、一先ず凄すぎる人ということと、前人未到・唯一無二の記録としては当時の将棋界全7タイトルを一人で全制覇し七冠を達成した…手の付けられないチート棋士・将棋の神様と覚えていただければと思います。

●なぜ羽生さんはそんなに強かった?

羽生さんが現れるまでの将棋は棋士によって得意な戦術や戦法を持って戦っていました。それぞれフォームを持ち、当然とされる定石や駒得(弱い駒で強い駒を取ること)を用いて戦っている時代に、羽生さんは極めてシンプルな論理を追究する棋士として現れました。それは「先に王を取ったほうの勝ち」という…あまりに単純明快な将棋のルールに基づき、とにかく先に王が取れたら勝ちなのだから、王を先に取れる道筋だけを考えて、時には駒得や定石を無視して戦うという合理主義・数学主義的なスタイルを将棋界に持ち込み、あらゆる戦術・戦法を駆使して、ひたすらに相手の王を取るルートを冷静に読み切る戦い方で名だたる名人を圧倒し、将棋の歴史を変えました。(勿論、王を先に取るゲームとして元々そのように棋士は将棋を打ってきましたが、羽生善治さんほど冷静に・かつ数学的に思考し、それを体現した棋士は初めてだったと私は思います。)

●羽生善治の次に将棋の歴史を変えたのはAIという敵の出現

永らく将棋と囲碁においてはパソコンがいくら頑張っても戦術のパターンが天文学的な数存在するため、パソコンは将棋や囲碁では人間に勝てないとされてきました。(チェスについては戦術のパターンが将棋と囲碁ほど多くないので早々にパソコンがタイトルホルダーを打ち負かしていました。)

ところが、2013年。ついに将棋界にシンギュラリティが訪れます。それはAIの将棋ソフトトップ5と現役プロ棋士5人が戦う「電王戦」という大会の出現です。その大会で遂に現役プロ棋士がAIに負け始めます。2017年には叡王戦という将棋の新タイトルが設立され、この大会の優勝者(名人)とコンピュータの将棋大会で優勝したAIが戦うことになりました。そして遂に名人(優勝者)がAIに負け越し、AIはついに「人間を超えた」ということで AI vs 人間 という催し自体が終了しました。

このAI将棋が人を超えようとする時期、著名な名人棋士はAIとの対決を避けました。あの羽生善治さんでさえ戦うならばAI側も何か命を賭けるべきと言ったほどでした。当時は名人がAIに負けたら人間代表としての敗北の責任を負う重大な局面だったわけです。そして、2017年以降もさらに技術は発展し、AIはさらに強くなり、近年では人間よりAIのほうが将棋はもうどうしたって強いという時代に変わりました。これに多くの棋士たちは落胆しました。

●AIから学ぶ最強棋士、現る。

羽生さんが数学的な打ち筋を体現して将棋史を変え、AIは人間をはるかに超えた演算能力やディープラーニング(無限に等しい対戦学習)で将棋史を変えました。そして新たな局面として、そのAIを敵視するのではなく、そのAIから新しい棋譜や最高の手、最善手を学んで強くなるという学習スタイルを取り入れた棋士が現れます。それが藤井聡太さんです。人間より強いAIを師に持って自身を鍛えてきた藤井聡太さんは、AIが考える手を自ら打てるようになり、人間の最強の棋士を目指して今まさに記録を作り続け、将棋史を変えています。

●カメラから光彩の表現を学んだフェルメール。AIから最強の将棋を学んだ藤井聡太。

AIの出現で将棋の歴史は大きく変わりました。何と言っても、今までは判断が難しすぎた将棋の攻防評価。どちらが有利か?不利か?はプロ棋士が解説していました。「うーん…後手のほうが微妙に有利ですかねぇ…」なんてプロが解説して、対戦を見ている人がどちらが勝ちそうか?わかるようにしていたのです。

ところが近年の将棋では常にAIがどちらが有利か?不利か?数字で評価値を出し続けます。プロの解説者も自分の感覚での有利・不利ではなく、まずAIが判断する評価値を見てから「ああ~、この状況は先手のほうが若干不利なんですねぇ…」なんてAIに共感したり、学んだりしながら視聴者に解説するのです。これはAIが現れるまで何百年と変わらなかった将棋の見方において、まったく新しい将棋の見方に変わった驚くべき大革新です。

伴って棋士の強さの基準も「いかにAIと同じ手が指せるか?」に変わりました。勿論、対戦している棋士にはAIがどう判断し、次はどんな手がいいか?などのアドバイスや確認はありません。人間同士はフィジカルに、自分の頭で考えながら打ちます。そのうえで現代の最高の将棋は、信じられない逆転の一手や新手が生まれることではなく×、最後までAIの判断と同じ手を指し続けられるか?◎=つまり、いかに勝つ為の正しい手順でミスをしないで打ち続けられるか?に美徳と強さの基準が変わりました。

羽生善治王朝の頃は、まだプロ棋士が解説している時代でしたから、盤上で何が起きているか?最善・最高の手は何か?名人戦などは最強の人同士が戦っているわけですから、解説者にだってわかりません。戦っている棋士の頭のなかに奇跡の一手が思い描かれているのみで、次どんな手を打つのか?解説者もお客さんも固唾を飲んで見守り、時に奇跡のような一手が生まれて将棋ファンは湧き、歴史に残る名局が生まれてきました。

ですが、今は違います。最高・最強の次の一手はAIが観ている人に教えてくれます。なので現代ではむしろ観ている側が最善手をAIによってわかっていて、対戦している棋士のほうが最善の手を探している状態で将棋を観覧します。

ここは本当に…ずいぶんと…歴史というか…将棋という競技の在り方が変わったと思うところです。そして、そんな現代で藤井聡太がすごい!強すぎる!と言われえる所以は、AIが指し示す最高の手を自力で打ち続けられるからです。

AIが理解している天文学的な演算から生み出される最善の手を、まだまったく先の見えない中盤戦から最後の一手まで藤井聡太は一手も間違えることなく打ち抜きます。これが人間同士で切磋琢磨してきた世代にはまったく真似できない現代最強の将棋の打ち方と言って差し支えないほど強い。19歳にして四冠。羽生善治さんがまだ現役の現代においても藤井聡太さんが頭一つ抜けて強い理由です。

個人的には羽生善治さんを超える強さなんて二度と見ることはないと思っていたので…こうしてまた時代が転覆し、まったく新しい常識を生み出し、記録を作り続ける藤井聡太さんという怪物を見ていると、もう…歴史の目撃者というか…感動を超えて感慨を覚えます。人類って、進歩していくんだなぁ…と(笑)マニアックな視点ですが本当に今将棋はすごいことが起きています。ぜひみんな将棋を覚えて羽生善治さんと藤井聡太さんの色んな名局をYouTubeで見ていただきたいです。ほんと面白くて震えますよ!

●技術革新を師とするパラダイムシフトがこれからの勝ち筋?

将棋の藤井聡太と、画家のフェルメール。異なる時代に生まれたこの天才たちの共通点は、これまでの人類の研鑚を否定するような技術革新が生まれた時、それを素直に受け入れて、自分はむしろその技術革新から学ぶ!という思考転換を最速で行った人物という点です。

将棋は今まさにAIの出現で見方も考え方もまったく変わっていっているところですが、カメラが現れた以降の絵画はその続きとして印象派・シュルレアリスム・キュビズム・現代アート…と、それまでの写実性を極める作風から人間ならではの観点や感性を基にしたトリッキーな絵画へとどんどん歴史を移していき、芸術はカメラ生誕後、その意味を大きく変えていきました。将棋についてもまったく似たようなことが起きていて、これからまだまだ競技の概念自体がアップデートされていくのだろうと思います。

●技術革新を敵とせず、師とできるか?

まさにシンギュラリティ(AIが人間を超える)の真っ最中である昨今。これからの時代がどう変わり、どう生きるのが正しいか?その答えに近いようなものを私はフェルメールと藤井聡太の共通点から感じます。技術革新が証明することは、概ね人類がその生涯のすべてをかけた挙句次世代に引き継いで何千年と積み上げてきた価値を根底から覆すものなので、今まで信じてきたことや必死に取り組んできたことが否定されます。その時、その瞬間、私たちはまずどうすべきか?パラダイムシフトの最善の手段として技術革新を自分が成長する為の手段として用いる姿勢なのではないか?藤井聡太さんやフェルメールはまさにそのロールモデルだと私は思います。

今、目の前で平然と正しいと思って接種している価値観が人間同士の一本道であるとすれば、それは負け筋(すでに間違った道筋)なのかもしれない。デジタルから何か学んでいる状態になっていなければ既に負けているのかもしれない。そんな懸念を持ちながら自身の習熟。あるいは子供の教育に携わっていきたいですね。

●あとがき

やっと自分が好きな分野をnoteに書けました。が、ずいぶんと長く論文的なものになってしまいました。とはいえ「こんなことを考えて生きている」というのをなるべくnoteに抽出していきたいので、自己満足の領域で今後もこんな感じの内容を綴っていきたいと思います。

読んでくださった方がいたらありがとう!あなたは神様です!(?)ぜひYouTubeで羽生善治と藤井聡太を見ていただきたい!(?)世界は世界として目の前に広がっているだけで素晴らしい。奇跡ばかり。こんな世界に意識を持って生まれただけで私は幸せです。当たり前の日常どころか、ただ世界が目の前にあることすら当たり前じゃない。生まれて生きて死ぬまで、その価値を感じて生きていたいなぁと思う次第です。それではまたぁ~!