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"ビッグになりたい"を手放す

僕の嘘偽りのない"揺らぎ"について書いた『曖昧を生きる』から8ヶ月。
揺らぎはじめてから約2年。

やっとその揺らぎの終わりが見えてきました。


2024年が始まり、2023年の揺らぎに引きずられないよう気持ちを入れ替えて過ごしていたものの、春頃また気持ちが下がっていた。

でも揺らぎ始めてから1年以上の月日が経っていたので、そろそろ終わりにしたいと思い、久しぶりにコーチングを受けることにした。

あるサービスから、コーチング歴としてはまだ若い、同い年のコーチの体験セッションを受けた。

その時間をきっかけに、揺らぎの終わりが見えてきた。

photo by Fumiya Kojima


中学3年生の時に抱いた"ビッグになりたい"

話は中学3年生。

当時僕は自分がゲイだと薄々気付きつつも、周りにはもちろんカミングアウトしている人はいなかったし、テレビの世界ではオネエタレントがお茶の間を笑わせる存在として活躍していたので、

「ゲイ=お笑いの対象」という構図が成り立ち、自分がゲイだと認めきれない状態だった。


当時親友と将来の夢を語った時に、親友の夢が

「好きな人と結婚して、マイホームを買って、子どもができて、その子どもとキャッチボールすること」で、

彼にとっての当たり前の夢が、自分の人生ではそもそも描くことすらできないことに愕然とし、絶望した。

親友が描いている夢を聴いて、愕然とした


ゲイは「周りと違う、普通じゃない」と捉え、「普通じゃない自分はみんなと同じような幸せを享受できない」と考えていた。

だから、当時の僕は、普通じゃないことを正当化するしか生きる道がなかった。

普通じゃないことを敢えてすることで、周りには得られない幸せを享受することが、僕の残された道だった。


それは中学の卒業文集にも出ていて、多くの同級生たちが修学旅行や学園祭、部活に書いている中、

僕は何を思ったのか『よりビッグになる為に…』というタイトルで、自分がいかにビッグになりたいか、なるためにどうしたらいいのか、とつらつら書いていた。

実際の文集。恥ずかしいので縮小。


あの時から、僕は"ビッグになりたい"と願い、ビッグになることが自分の幸せだと思っていた。

周りと違う、みんなに比べて欠けている自分だからこそ、ビッグになることで、自分の存在を証明したかったんだと、今振り返って思う。


"ビッグになりたい"とともに歩んできた今まで

そこから大学へ行き、ソフトバンクに入り、はぐくむに戻って、一貫して仕事を頑張ってきた根底には、中3の時に抱いた"ビッグになりたい"がいつもどこかにあったと思う。

あの時の満たされていなかった自分に、大人になった自分を見てもらうことで、満たしてあげたかった。

"ビッグになりたい"ははっきりしたものではないから、どんな現状でも、どんな結果でも、常に自分に頑張る理由を与えてくれた。


あの時の自分から20年ちょっと。

"ビッグになりたい"一心で頑張ってきた。


でもそんな中、冒頭にも書いたように人生に揺らぎが起き、ここ最近は自分を見つめ直す時間が増えた。

「自分は何のために頑張るのか?」「何のために生きるのか?」

生きていく根源にある問いと、揺れながら向き合ってきた。


そこで一年ほどの揺らぎを終わらせるために、コーチングを受けた。

その体験セッションの中で、コーチに「今の平山さんは、何かを身につけていくよりも、何かを手放すことが必要なんじゃないかと思いました。
平山さんは、何を手放したいですか?」と問われた。


その時にふと湧いてきたのが、"そろそろビッグになりたいを手放していいのかも?”ということだった。

今までそれがあったからこそ頑張ってきたし、だからこそ今の自分があると思うけど、でもそろそろあの時抱いた"ビッグになりたい"を完了させていいのかも、と湧いてきた。


今自分があの時抱いた"ビッグになりたい"を、達成したわけでは決してないけど、あの時奥底にあった"満たされなさ"が、今あるわけではない。

"ビッグになりたい"があったから、いつでも頑張る理由ができて、踏ん張ってきたけど、もうそろそろ踏ん張り続けながら生きなくてもいいのかな、とふと思えた。


別に「ビッグになる」が幸せの絶対条件ではないし、今の自分はしっかり満たされていて、それなりに幸せだから。

生きていく理由をアップデートする時期なのかなと感じた。

青春時代を過ごした鵠沼の海


手放してみて

完了させていいかな、手放そうかなと思ったコーチングセッションから、日常の中で肩に入ってた力が、徐々に抜けていく感覚を覚えた。

うすーくどこかでずっと気張っていたものが、少しずつほぐれていくような感覚。


そんな時、はぐくむ湖畔で毎月2回開催しているコミュニティディナーのファシリテーションをした際、初めての参加者の方に、話の流れでそんな心の変化を話してみたら、こんなことを言ってもらえた。


「"ビッグになりたい"という想いを握って、ここまで頑張ってこられたことが伝わってきました」と。


なんだか自分の今までをまるっと肯定してもらったようで、思わず泣きそうになった。

そう、そうなんだよな、"ビッグになりたい"を握り続けてきたから、おれは今まで頑張ってこれたんだ。

だからあの中3の時の自分も、そこから今までの自分にも、自然と"ありがとう"って思えた。


今振り返るとあれが完了の時間だったと思う。

"ビッグになりたい"を手放したからって、目に見えて何かが変わったわけではないけど、自分の内面では着実に変化が起きた。


次のステージへ

手放した今は、目の前にある仕事や、いただいた仕事を丁寧にやること、お役に立つこと、を意識して仕事をしている。

変に目立とうとすることもなく、今は比較的居心地良く、毎日を過ごしている。

15歳から約23年間続いた物語は一旦完了し、また新たな章の始まりかな、と思う。


本当人生って常なるものは無いですね。

次のステージへ

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