滅人と暮らす
母が滅人になってからもう数ヶ月が経つ。
魂がゆっくり体から抜けていくことで、肉体の輪郭が段々と朧げになっていき、最後にはすべてなくなってしまう病気。乖離性魂亡失躰症候群。
その罹患者が通称『滅人(ほろびと)』だ。
早くに夫を亡くし女手一つで、とお涙頂戴的に言いたいところだけど、母は兄弟が多かったこともあって何かと助けて貰いながら、一粒種の私も伯父や伯母に頼りつつ、すくすく育つことができた。おかげで母も育児ばかりでなく、仕事に趣味にと忙しく、そして楽しく過ごしていた。
私がパートナーと出会うまではずっと母と二人で住んでいたので、まるで姉妹みたいに一緒に出かけたり、遊んだり、暮らしたりしていたから、父がいない寂しさなんてものもなく、幸せな日々。
発症したのは、母が還暦になった頃。
最近、手元がぼやけるのよね老眼かしら、と言いながら私に向けた手のひらは、確かに少し輪郭がはっきりしなかった。慌てて病院へ連れて行ったら、件の病と診断された。
元々、家系的にその可能性はあったのだけど、まさか私がねぇなんて言いながらケラケラ笑っていた母が懐かしい。
その症状はとてもゆっくりとした進行ということもあって、自覚はありながらもほとんど生活は変わらず、ただ少しずつ少しずつ、人ではなくなっていく。
最初に診てもらったお医者からは、治療はできません、とはっきり伝えられていた。医学的には実質死んでいるのだ。だとすると、人生のロスタイムみたいなものかもね、と母はその帰りに笑って、少し泣いた。
パートナーにもそのことを伝えると、じゃあお母さんがよろしければ、ぜひ一緒に住みましょう、と言ってくれた。母は驚いていたけれど、それ以上に喜んでくれて、三人暮らしが始まった。
母とパートナーはすぐに意気投合して、いよいよ三姉妹じゃない!と末っ子の顔で笑う母を見るにつけ、これまで以上に母と仲良く、できることはなんでもやろうと思った。
仕事の合間にあれこれ準備しながら、行ったことのないところへ旅行の計画を立てた。久しぶりの遠出に母は緊張していたけれど、それ以上に3人旅というのは思いのほか楽しかった。
近場の食べ歩きにもしょっちゅう行って、めぼしいところはほぼ食べ尽くしたと言えるくらい。滅人であることは周囲にも少なからず、意識されていたようだけれど、幸いに警戒されることもなく、和気あいあいとしたものだった。
叔父と叔母の家族も誘って、キャンプを決行したりもした。どちらかというとインドアな私にはかなりの挑戦だったけど、誰もが終始笑顔で、結果的に悪くないチャレンジだったと思う。
それでも、日が経つにつれて徐々に、でも確実に、母のその姿は薄れていった。それに伴って、食べること、喋ること、聴くこと、観ること、それらが母の器の隙間から零れ落ちていく。
ここ数日に至ってはもうだいぶ輪郭はぼやけ、昼間の明るさの中ではほとんど姿も見えなくなってきた。私の声も届いているのかどうかわからない。
まもなく、私は母を見つけられなくなるだろう。たぶん、母もそれには気づいているような気がする。
「おかあさん?」
夜、電気を消し、寝床から、うっすらと闇に浮かぶ薄い輪郭に向けて語りかける。
「おやすみなさい。またあした」
閉じたまぶたの裏の母は、にっこりと笑った。
そして、産毛のように柔らかく軽い指が頬に触れて、拡がっていく。
またあしたもだよ、おかあさん。
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