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猫の聴力

2/14に手術した。足の脛骨にプレートがボトルで固定されたみたい。11時過ぎに手術室へ移動して14時前には病室に戻ってた。
ベッドを移るだけで激痛すぎて、泣けた。素っ裸だったけど気にする余裕一切なし。隣りのベッドのおばさんが、大丈夫、うまく行くから大丈夫と声を掛けてくれた。それも嬉しくて、泣けた。手術室で少しまったあと、準備が始まって、気づいたら終わってた。ピンクのブランケットを掛けてくれていて、それだけで気分が少し良かった。病室に戻ると、入口に隣りの部屋のおばさん達がいて、手を握ってくれたりして、なんか凱旋帰国みたいだった。嬉しかった。隣りのベッドのおばさんはその日が退院といってたけど、まだいて、またベッド移動するとき変わらずの激痛で泣いてたら、腕をさすって、すべてうまくいくよ、大丈夫よって。少なすぎる私のロシア語の語彙とおばさんの知ってる英単語でなんとかコミュニケーションして、たくさん助けてくれた。私の名前はユキです。ユキはロシア語のСнег(雪)ですって自己紹介して、1-2回はユキと呼んでくれたけど、その後ユカに変わった。それは、ロシア語の女性名詞はя(ヤ)かа(ア)で終わるからで、無意識の語尾変換なんだろうな。すごいな。ユカと呼ばれるのはちょっと嬉しい。
その後激痛は2日くらい続き、実際骨折した時より痛かった。同室の同じ足の怪我で手術した子と、No more broken leg in our lifeと決意を共にした。手術の翌日、痛いながらも何か食べなければと、食事しながら、ふと、猫って犬より耳がいいとかいってた気がする、うちのゴチャチャン気づくかな?なんて思って、ゴチャー、ゴチャドーン、ゴタドンと、食事のお皿に向かって、いつものように呼んでみた。ちなみに本名はゴジラちゃん(オス)で、ロシア名はゴーシャです。

Godzilla Chan, Гоша


翌日、手術から2日目、知り合いが猫の様子を見に私のアパートへ行くと、部屋のドアが40cmくらい開いてたと。幸い猫は部屋の中にいて、ドロボーとか入った形跡はないと。私のアパートのドアはホテルみたいなオートロックで、ロックしてあっても中からはハンドルを下げるだけで開く。うちの猫は別のアパートの時に、ハンドルを下げるとドアが開く事を習得していた。その時は、猫がずっと誰もいなくてストレスで走り回ってジャンプして偶然開いたか、そこを開ければいつものように私が帰ってくると思ったか、とかとにかく猫に早く会いたくて帰りたくて涙が止まらなかった。その後、ふと、自分が猫の聴力を試したのを思い出し… どうなのでしょう?病院からアパートまでは10キロ以上あるけど… うちの猫は感知したのかな?

ロシアのこの病院の大部屋では、特にカーテンとか仕切りはなく、部屋に入るだけベッドが入れられてて、ナースコールやコンセントは一人一個には足りず、使える所を使う感じ。私のようにベッドに寝たきりでトイレに行けなくても、丸出し…丸聞こえ…って感じでベッドの上でする。最初は余りにも抵抗があり、未だにだけど、全て限界まで我慢してからするから、かなりストレスだし、体に悪いよね。
コロナのせいかどうかわからないけど、面会なし。家族さえ病室に入れない。必要な物は持ってきてもらって受付で渡して、その後配布される。お世話する人もいないから、本当にそこは患者同士助け合いと、もちろん看護士さんも色々助けてくれる。私はここで本当にラッキーだった。同室だった2人のおばさんと隣りの部屋は入れ替わりがあったけど、今のメンバーで初めての入院、しかもロシアで、が始まっていたら… きつかったな。

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