見出し画像

エストニア 2019

エストニア。エストニアの思い出は、良くない。
なんで私はこんな所にいるんだろう。と、毎日のように思い、辛く、悲しかった。今思えば、別にそんな事思わなくてもよかったのにと思うけど、あの時は、精神的に弱り始めた初期症状だった気がする。しょっちゅう泣いてた。元々滅多に泣かない方だったのに。

ロシアのビザの日数の為に、サンクトペテルブルクから近くて安く行けるエストニアのナルバを選んだ。サンクトペテルブルクからナルバはバスで3時間、15ユーロくらい。時間帯で金額が違った気がする。ナルバから歩いて国境を渡ってロシアのイヴァンゴラッドからバスに乗ると400ルーブルだった。バスはパスポートコントロールで時間がかかるので、国境は歩いて渡ってからバスに乗るのがオススメです。
私が持ってたロシアの3年マルチの業務ビザは、180日ごとに90日間までロシアに滞在でき、その間何度でも出入国できる。2018年12月31日にロシアに入国して、3月初めまで滞在後、約1ヶ月間日本に帰国して、4月上旬にまたロシアへ戻った。そして4月27日の夜に車でロシアからエストニアへ向かい、28日未明にエストニアに入国して、エストニア第三の都市ナルバでの生活が始まった。

ナルバはロシアとの国境の町で、ロシア人も多く住み、公用語はほぼロシア語。学校でもエストニア語とロシア語の授業があるらしい。スーパーなどではエストニア語表記で、お店やレストランなどでは英語もかなりの確立で通じる。
約半年間の滞在中、1度だけアジア人、多分韓国人の女の子を見かけただけで、アジア人はかなり珍しかったらしく、外を歩くたびにジロジロ、特に子供はあからさまに、振り返ってまで、見てきた。凄く嫌だった訳ではないけど、あまり良い気分ではない。
人口7万人前後面積約85キロ平方メートル。自転車で1時間もあれば1周できた。フィンランド湾の海の方まではバスで15分、自転車で1時間半くらい。大きなモールは2つ、ファーストフード店は3つ、そのうち1つがマクドナルド。スタバはない。そういう所だった。エストニア第2の都市タルトゥのタルトゥ大学の分校があって、自由に入れてカフェや図書館も使えた。

当初はビザなしで滞在できる90日間過ごして、その後ロシア戻ってから日本にまた帰国しようかと考えていたけど、1年間のDビザを取得した。小さな英語学校で、ロシア語のプライベートレッスン(90分)を週に2回で申し込み、その学校でインビテーションレターを書いてもらって申請したら、取れた。暫くはビザのこと考えずに落ち着いて暮らせる、そんな思いだったけど。
申請も受け取りもネットで予約して、当日は入口で機械による受付け。窓口の人は多少英語も話せて、全然怖くないし、たくさんの人が待ってたり待ち時間が長かったりとかもなく、全てスムーズ。ロシアと全然違う。

5月には車に自転車積んで、タルトゥ2泊とタリン3泊の旅行へ。タルトゥは小さいけど大学の町って感じで、国際色豊かで活気がある印象だった。カフェや小さなお店とか観光というか、ちょっと出掛ける場所がたくさんあった。住んでみたいと思えた。タリンは、旧市街はよく写真で見かける風景そのもの。旧市街以外は、別に汚いとかではないけど結構ごみごみガチャガチャしてた印象で、1度は来れてよかったな位だったかな。でも6月に日本から友達が来て、サンクトペテルブルク3泊、ナルバ1泊、タリン2泊と一緒に観光した。
2度のタリンでもれなくパートナーと大揉めした事もあり、タリンと聞くと、なんか、イメージ悪い。また行きたいと全く思えなくなってしまった。
7月には友達のアンディに会いにチェコのプラハへ行った。ナルバからバスでラトビアのリガへ。リガから飛行機でプラハへ。リガでは行きも帰りも6時間以上の時間があって、観光した。ヨーロッパな街並みで建物は大きく道路は広く、すっかり気に入ってしまった。でも、食事をしてたら、2人もお金を恵んで欲しいと…1人は女性で身なりもよく、働いてはいるけど収入が少なすぎて食事ができずお腹がすいていると。ショックだった。
アンディとは2005年にカナダへ留学した時に知り合った。ユエリ大学ESLのサマーコースだった。その後私が2回チェコへ行ったり、パリやタイへ一緒に旅行した。16歳年下だけど、拙い英語だけど、いろいろたくさんよく話し、大笑いしたり共感したり、不思議と気があった。
赤ちゃんはまだ首もすわってなく、育児にも慣れてなく疲れきってたけど幸せそうだったし、アンディのパートナーにも会えて、午後のほんの数時間だったけど、本当に行ってよかった。

国同士が陸地で繋がってる不思議さや、違う国をまたぐのにパスポートコントロールのないEUの不思議さ。世界って大きいとしみじみ思う。

Narva-Jõesuu

ナルバの夏のピークは6月7月で、海へ何度か行ったけど、8月にはもうだいぶ涼しくなって、ぐるぐる自転車だったり歩いたりで毎日のように散歩してた。とても自然豊かで広大でどこを見ても、サンクトペテルブルクとはまた違う美しい景色の広がる所だった。
1日3時間シフト制の仕事と、週に2回のロシア語のレッスン。私のスケジュールはそれだけ。あの頃は1日に8-10時間くらい寝てたな。社会との繋がりはレッスンとたまに行くスーパー。もう本当に隠居生活みたいだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?