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【エッセイ】ここでようやく100日目

100日

キリのいい数字。
ちょっと前に話題になった某作品のタイトルにもにも、そんな日付が入っていたっけ。


Googleで「100日」と検索

してみた。
最初に出てくるのは百日祝い

日本ではいわゆる「お食い初め」が、その時に行われる。
中国、韓国など、東アジア地域にあるようなので、元は儒教的な何かなのかな。
一生涯、食べることに困らないようにという思いを込めて行われる儀式。
親の思いに包まれて、広告に写真の赤ちゃんモデルもひたすらに愛らしい。

100ってきっとそうやって、これから生きていくことを、願い、確認する日なのだ。


Googleで「百日」と検索

するとやはり最初に出てくるのは、「百日祝い」
うん、やっぱりかわいい。

その少し下にスクロールすると、「百箇日」という言葉が出てくる。
こちらは故人を偲ぶ際のこと。

百日忌(ひゃくにちき)・百か日
卒哭忌(そっこくき)とも呼ばれる法要で、七七日(49日)法要後、一周忌までに間に行われる法要はこの百か日法要のみである宗派が多い。
哭(泣く)ことを卒(終える)する日とされる。
https://www.misatosekizai.co.jp/word_houyou/ha/hyakunitiki.shtml
引用させていただきました。

つまり、遺された人達が泣くことをやめ、前を向き始める頃。
一つの区切りとなる頃ということなのだろう。


100の夜なら

もうひとつ思い出す話がある。

もし深草少将が健康優良児で100日無事に通っていたら、どうなったのだろう。
小野小町は彼を受け入れたのだろうか。
それとも100夜続けることはそれほど難しいということなのか。
答えは幽玄の中だ。


私ごとで恐縮だが

実は、ふと思いつきでnote毎日投稿を始めて、本日をもって100日目なのだ。


読んでくださる皆様のおかげです、ありがとうございます


3ヶ月とちょっと。

深草少将よりは続けられた。

短歌だけの日、写真だけの日もあるけれど、出来るだけなんらかの文章は綴るようにしてきた。

ビュー数が増えなくてやきもきしたこともあるし、スキがつかなくてしょんぼりしたこともある。

でもそれなりに続けてこれた。
続けてきたこと自体が、ささやかながら自信にもなっている。

かのスティーブン・キングも述べている。

あなたは書けるし、書くべきである。最初の一歩を踏み出す勇気があれば、書いていける。
スティーブン・キング『書くことについて』(小学館文庫) 358頁

私は書ける。

百日祝いに、これからの途切れないことを祈るように
百箇日に憂いや嘆きを少しだけ振り切るように
百夜通いに想いを遂げることを願うように

100日続いた

次の100日も、その次の100日も、同じ気持ちを持って続けたい。

私は書ける。
書いていける。



連れ合いが100日記念にアイコン用の絵を描いてくれました。

本好きゆえに


新しいアイコンと共に、これからも、どうぞよろしくお願いします。


最後までご覧下さり、ありがとうございました。

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