【私的読書生活】昔の自分が本の角で思いっきり殴ってきた
片付けが苦手だ。
正確に言えば、昔のものを片付けるというか、見ること自体が苦手。
片付けとかしていると、時々ある、昔の日記とか、手紙とか、ポエムやらが、突然、現れて、頬を2、3回張り倒してくるあの感じが苦手というか辛すぎる。
いわゆる黒歴史ってやつ
元々、数日前のことですら、忘れてしまうようなポンコツ海馬の飼い主のため、数年前の自分のものなんて、完全に「初めまして」でしかない。
(だんだん「元々記憶力悪くって」、がシャレにならない歳が近づきつつあるので、本当になんとかしたい)
そして、この度、相当やばいものを発掘してしまった。
およそ20年以上前の読書記録
こんなのが2冊くらいあったわけで
なんでこんなものあるんだよ〜と苦笑しながら、1冊はさっくりゴミ袋に放り込んだ。
(と思う。他にも色々ありすぎて、もうわからん。)
これも紙ゴミの中に埋めていたのだが、せっかくなのでネタになるかなと発掘。
当時はカードでまとめるのが、自分の中で流行っていたらしい。
梅棹忠夫氏の古典名著『知的生産の技術』にて紹介されている方法。
もしかしたら当時も読んで感銘を受けて始めたのかもしれない。
(絶対そうだろうよ、むしろなんでオリジナル発想で始められた想定なんだ)
↑これは本当に色褪せない名著。是非ご一読を。↑
これ、この分厚さ(ざっと100枚)と、悪筆(表紙の字の通り)というだけで、かなりの代物。
気合いれて書いている時と、ようやく日付とタイトルだけ書いている時の落差がひどい。
わかりやすく三島由紀夫とか寺山修司とか坂口安吾とか谷崎潤一郎とかが好きなところも若気の至り。
それも、なんでか、結構上から言ってんだ、「やはりいい」とか。
(今でも好きですし、「圧倒的に素晴らしい」と思ってるけども)
そしてそれ以上にやらかしているのが感想。
お前は何様だ!!!
広辞苑でも、京極夏彦先生の本でも、いいので、角で思いっきり、当時の自分を殴りたい。
いや、今、この読書記録見た自分が、昔の自分に、サンドバックにされているわけで。
いや、本当に懺悔。
この場を借りて。
若いって怖い。
不遜に過ぎる。
穴があったら入りたい。
いや、自分で掘ってでも入るべきだ。
今、デジタルやweb上に残している読書記録も、また20年後くらいに見たらこんな気持ちになってしまうかな。
いや、そうならないよう、謙虚な気持ちをもって、これから読書していきたい。
やっぱり読書は好きなので。
というわけで、こちらのファイルは、そっとお焚き上げさせていただくことにいたします、礼。
(今度の可燃ゴミの日いつだっけ?)
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