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なんか、夏だけ特別扱いされてない?

四季は日本の魅力を語る上でよく出てくるワードだろう。

まるで日本固有の魅力のように語られがちだが、四季は日本と同じような緯度に位置する国であれば普通にあるらしい。

それでも、なぜここまで日本らしさと四季が連動しているかといえば、おそらく季節の変わり目を重んじる文化があるからだろう。

2023年もいよいよ10月を目前にして、ようやく京都も秋らしさを感じられるようになってきた。

ここ数年の夏の暑さは半端なく、文字通り命の危険を感じるレベル。真夏の日中、鴨川沿いに座ろうとする人がいたら止めたほうが良い。気がついたときには違う川が目の前に流れているかもしれない。

残暑という言葉では言い表せない、夏本番の暑さがここ数日前まで続いていた。基本家から出ない自分でもそう感じるのだから間違いない。

そんな中「夏の思い出」というテーマで何か書こうと考えた時、結論としては特に何もなかったである。

スケジュール帳を見返してみると、ビアガーデンや花火、高校野球観戦くらいか。

しかし、これを特別な思い出として語るにはエピソードとして弱い。夏しかできないことであることは間違いないが、他の季節においても同じくらいパワーあるイベントを持っている。

そもそも、四季という同列の並びにおいて「夏」だけが特別視されている気がするのはわたしだけだろうか。

「夏の思い出」という言葉はよく聞くが、「秋の思い出」や「春の思い出」は余り聞かない。

これは個人的な感覚に過ぎないかもと思い、検索数予想ワードで調べてみると以下の通り。それぞれの数値は月間の推定検索数だ。

夏の思い出強すぎ。
秋、冬においても春と同程度。夏の足元には到底及ばない。

なぜこんなことになっているのか。

「夏の思い出」と検索してみると、上位には童謡を始めとした音楽が数々ヒットする。歌の影響で日本人は夏が特別だと刷り込まれているのだろうか。

いや、子供時代にあった夏休みの影響も大きいかもしれない。7月中旬から始まる休み期間、小学生の自分にとっては永遠に感じられる楽しい毎日が続いていた(中高は逆に長過ぎてしんどかった)。

家族旅行に行くタイミングも、働き手のお盆休みと重なる8月が多いのだろう。そういう意味ではGWも夏に片足突っ込んでる感じがする。

そういった幾層もの先入観が染み込んでいった結果、現在の「夏」の特別感は生まれていったのかもしれない。

「今年の夏こそは!」や「夏だからこそ!」といった訴求はよく見るが、期待され続ける夏も少し気の毒に感じる。「今年の夏もダメだった…」と後悔する人も必ず一定数いるだろうし。

勝手に期待され、勝手に失望される夏という季節。人気が出ればアンチも増えるというが、夏がそれをずっと体現していたのかもしれない。

夏の終わりに謎の侘びしさを感じながら、来たる秋冬も存分に楽しもうと思う。

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