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わたしがフリーランス日本語教師になるまでのおはなし

1. 6年前のわたし、グッジョブ!

1-1. 自己紹介

こんにちは。
フリーランスで日本語教師をしている「ゆうゆう」です。
毎日、自宅からオンラインで日本語のレッスンをしています。

「ゆうゆう」というのは、小さい頃からのあだ名です👶🏻


昨今、いろんな働き方がある中で、
日本語教師として働いている方は、たくさんいらっしゃると思います。
日本語を勉強している方も、たくさんいらっしゃると思います。

一人ひとりの教師と生徒さんが出会ってレッスンをしていると思うと、
なんだかすごい確率というか、
出会いってすばらしいことなんだなと感じています。

その中で、わたしに興味を持って、レッスンを評価して、
毎週学びに来てくださる生徒の皆さんには、感謝の気持ちでいっぱいです。

6年前、日本語教師として生きていこうと決めたわたし、
グッジョブ!って思ってます。

日本語教師になるまで、そして、フリーランスに転向するまで、
いろんな変化や挑戦や挫折や決断がありました。

そういったものを振り返り、noteに書いてみたいと思います。



1-2. この記事で書くこと

この記事では、フリーランス日本語教師になるまでのおはなしを、

  1. 将来がイメージできず思い悩んだ学部時代

  2. 日本語教師としてのスタートラインに立った大学院時代

  3. 非常勤とアルバイトで経験値を上げたフリーター時代

  4. 超コロナ禍の日本語学校を駆け抜けたフルタイム時代

  5. オンラインレッスンに奮闘中のフリーランス日本語教師 ← いまここ

という時代区分でご紹介していきます。

なにか一つでも、興味を持っていただけたり、
参考にしていただける部分があれば、嬉しい限りです。

それでは、早速始めましょう!


2. わたしがフリーランス日本語教師になるまでのおはなし

2-1.将来がイメージできず思い悩んだ学部時代

わたしは、小学生の頃から大学に入るまで英会話教室に通い、
毎週ネイティブと話しているうちに、自然と
将来は英語を使って、なんなら海外とかいって、仕事をするんだろうなあ」と思うようになっていました。

大学に入ったら英語圏に長期留学したいと思っていたので、
迷わず、交換留学の提携先が多い国際系の学部を受験。
進学後は、外国語、文化人類学、倫理学、心理学、芸術学…と、
興味のある授業をひろーく履修して、いろいろ足を突っ込んでいました。

海外留学したいな〜というだけの動機で入学したので、
「この分野を突き詰めたい!」っていうのは、あんまりなかったんですね。

自分の専門性の弱さに薄々気づきつつも、3回生から交換留学。
実際は、英語圏ではなく、第二外国語で履修したフランス語にハマり、
フランスの大学に1年ほど留学しました。

留学は本当に楽しくて、刺激的でした。

オールフランス語で講義を受けたり、
日本語学科の教授のアシスタントをしたり、
現地の学生と話して逆カルチャーショックになったり、
ヨーロッパ中を旅行したり、
スリに遭いかけたり、
夜行バスに遅れてイタリアの田舎町に置いていかれそうになったり…

ただ、留学先でも、いろんな授業に行ってみたい!という自分がいて、
留学後半ぐらいから、漠然とした不安、要するに「進路どうしよう」ってなってました(当時、学部3回生)。

そのとき、ものすごーくもやもやしていたのを、今でもよく覚えています。

わたしが勉強してきたことって、結局何なんやろ?
わたしはどんな環境で必要としてもらえるんやろ?
なんでもっと、専門的な学部に入らへんかったんや。
自分の強みって何なん。
英語とフランス語だけで、武器になるんやろか。
いっそ結婚して出産して専業主婦になれたなら…!
あああ、将来どうしたらええの〜 自分ってなにぃ〜?!

ってなってました。

でも、ある日、両親にこのことを話して、

「ゆうちゃんはきっとマルチプレイヤーなんやろな」
「いつか、今までの経験が全部生かせる日が来るよ」
「専門性 身に着けたいんやったら、大学院も行ってみたら?」
「1年ぐらい休学して、いろいろやってみてもええんやし」

と言ってもらい、1年休学して、
アルバイトをしたり、父の仕事を手伝ったりしながら、
留学で得たものを振り返り、将来への準備期間としました。

まず行き着いたのは、「人といっしょに何かを学ぶこと」でした。
アルバイト(語学学校の受付)や父の仕事(セミナーの企画や準備など)を通して、人と何かを話したり学んだりするのがすごく楽しかったんです。

料理とお酒が好きなので、
例えば、カフェやバーを開いて、セミナーや勉強会のために
場所を貸し出しできるようにするのはどうかな?とか、
そんな妄想もしていました。

まあ、それは妄想で終わったんですが、
その後、最終的に行き着いたのが、「外国語教育」でした。
英会話教室時代とフランス留学時代を思い出して、気づいたのです。

自分は今まで、外国語の勉強が大好きだったじゃないか。
そして、フランスでアシスタントをした日本語の授業は、ものすごく楽しい時間だったじゃないか。
日本語を学ぶ人と交流して、日本語はなんて難しくておもしろくて奥深い言語なのだと思い知ったじゃないか。

まだ、日本語教師になると決意したわけではなかったのですが、
ともかく「外国語教育」についてもっと勉強してみたい!と思い至り、
学部卒業後、そのまま同じ大学の大学院へ進学しました。


2-2.日本語教師としてのスタートラインに立った大学院時代

大学院(修士課程)では、
研究テーマが定まるまでいろいろ紆余曲折がありましたが、
自分がフランス留学をしたこと、日本語教師に興味があることを踏まえ、
第二・第三外国語学習における動機づけ」を研究することに決めました。

特に、母国語や英語の他にも外国語を勉強する学生を対象に調査を行い、
量的・質的の双方から、学習意欲の減少・維持・上昇の推移と、
それらを方向づける要因について分析をしていました。

自分の経験も含めて、外国語に対する学習意欲について深く知ることで、
何某かの教育に貢献できる自分になれるのではないかと考えたのです。

同時に、副専攻で日本語教育のためのコースも専攻し、
日本語教師になる可能性も残しつつ、学生生活を送っていました。

そんな中、また「進路に悩む時期」が来てしまいました。
もう、修士課程2年目の秋でした。

日本語教師になる?
このまま博士課程に進む?

…どちらも、ピンときませんでした。
なぜなら、教育を研究しているのに、授業経験がほぼなかったからです。
そのせいで、博士課程で何を研究したいのかもわかりませんでした。

教師になる自分も、研究を進める自分も、全然想像できませんでした。

じゃあ、教壇に立って、授業をしなきゃ!

というわけで、未経験から雇ってくれそうな日本語学校を片っ端から探し、面接を受け、晴れて非常勤講師としてデビューするに至りました。

また、日本語教師をやってみるということを大学の教授に伝えたところ、
有り難いことに、大学でも非常勤講師としてコマをいただけることになり、
フリーター日本語教師(見習い)の生活が始まることになったのです。


2-3.非常勤とアルバイトで経験値を上げたフリーター時代

修士課程修了後、いよいよフリーター時代が始まりました。

とにかく、いろんな教育現場に関わって、
自分の培ってきたものがどれくらい通用するのか、試す日々でした。

大学や日本語学校では、「みんなの日本語」「GENKI」「まるごと」などの
教科書を使うことになり、毎日がんばって準備していました。

また、大学と日本語学校の非常勤講師に加え、

  • 語学学校の受付アルバイト

  • 外国語の教科書を作っている出版社で雑用・編集アルバイト

  • フランス語プライベートレッスンの講師

  • 国内の大学に来ている留学生の勉強をサポートするチューター

のようなアルバイトをかき集め、
教育にどっぷり浸かることのできる環境を作り上げました。

このような環境のお陰で、自分が授業をするだけでなく、
授業のための教材や学校運営についても知識を得ることができました。

最終的に、月収25〜30万円ぐらいにはもっていけたので、
フリーターという選択肢にも、ある種の自信をもって、頑張っていました!

が、フリーター生活10ヶ月目ぐらいで、突然、
日本語学校から常勤のお声掛けをいただいたのです。

普段の授業が評価され、お声がけいただき、嬉しい反面、
フリーター生活も結構毎日楽しくやっていたので、悩みました。

でも、何事もやってみないとわからない!と思い直し、
日本語学校の常勤になることを決意しました!

が、常勤になる直前、コロナがやってきたのです…

2-4.超コロナ禍の日本語学校を駆け抜けたフルタイム時代

コロナ禍の日本語学校勤務は、まあ大変でした^^;
さまざまなコロナ対策に明け暮れ、正直授業どころではない日も。

もちろん、学生さんとの交流は楽しかったし、
いろんなレベルの授業に入り、いろんな教科書を使い分け、
日本語学校がどうまわっているのか、その仕組みも知ることができ、
わたしの教育力にも少なからず深みが出たんじゃないかと思います。

でも、ある日、「やっぱり授業だけしていたい」と思う自分がいました。
そして、「集団授業に納得がいっていない」自分にも気づきました。

集団授業にも、もちろんメリットはあります。
クラスメイトとの関係が学習に影響を与えることも大いにあるし、
ペアワークやグループワークなど、工夫の余地が生まれるし、
教師一人で一度に大人数を教えることができると効率もいいし。

ただ、クラス編成によっても状況は変わりますが、

これ、本当にこのクラスに合ってるスケジュールなのかな?
この教科書でいいのかな?
あの学生さんの得意分野を伸ばしたい!
あの学生さんの苦手分野を克服したい!
この学生さんはこの話題、あの学生さんには別の話題…。

気づけば、もっと学生さん一人ひとりに寄り添って、
その人のためのレッスンを作りたいと強く思うようになっていました。

家族の応援もあり、いよいよ、
日本語学校を退職し、フリーランス×オンラインの形態で、
日本語教師を続けることを決断したのです。


2-5.オンラインレッスンに奮闘中のフリーランス日本語教師

さて、何から始めるか?というところで、
当初、既存のプラットフォームに頼らず、自分をブランディングして、
自力で集客したりホームページを作ったりしようとしていました。

手数料で結構もっていかれるしな〜というのもあって。

でも、これが想像以上に大変!
途中でモチベーションが落ち込み、ぐだぐだしてしまった時期も。
なかなか一人の力では進められませんでした。

そこで、やっぱり、既存のプラットフォームに頼ることに。

欧米の人がよく使っているらしい、という理由から、
とりあえず、Preplyに講師登録してみることにしました。

はじめは結構安めに値段を設定し、
生徒さんが増えてきてから徐々に値上げをしていって、
その後はPreply以外にも、個別契約の生徒さんもいて、
今では毎日いろんな方に予約していただいています。

どうやって生徒さんの数を増やしていったか、ということについては、
トライアルレッスンでのわたしなりの工夫がありますので、
ぜひこちらの記事もお目通しください。


フリーランス日本語教師に転向してから約1年半、
たまに自分のレッスンのマンネリ化に気づいて落ち込んだりしながらも、
いろんな方との出会いを楽しみながら働けています。

今は、フリーランスになってよかった、と心から思っています。

また、進路に悩んだ日々も無駄ではなかったなと思っています。

両親に言われたこと。
いつか、今までの経験が全部生かせる日が来るよ

全部とは言えないけれど、
今までのいろんな経験が今は役に立っています。

たとえば、

・英語やフランス語の能力のおかげで、
 いざというときのコミュニケーションがスムーズにできる

・留学したおかげで
 ヨーロッパの文化的背景について知識がある

・大学でいろんな分野に足を突っ込んだおかげで
 生徒さんの専門分野の詳しい話ができることもある

・英会話教室に通わせてもらったおかげで、
 海外の方と話すときの距離感にも慣れている

・出版社でアルバイトをしたおかげで、
 教材を作るときの内容やレイアウトのコツがわかる

・語学学校の受付をしたおかげで、
 学び方のいろんな選択肢が提案できる

…など、子どものころの他の習い事も含めればもっとあるんですが、
本当にいろんなことが今につながっているのだと実感できます。

何事も無駄ではないんだな、と思えるようになりました。


3. まとめ

この記事では、わたしが日本語教師になるまで、
そしてフリーランスに転向するまでのおはなしをご紹介しました。

この記事でお伝えしたかったのは、
過去の経験や知識が、今の自分や授業に生きているということです。

具体的にどう生かされているのか、そのさらなる詳細については、
これから追々、記事にしていければと思っています。

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