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川柳をはじめて1ヶ月。きっかけの話。

※以下は私が川柳をはじめて1ヶ月の頃に書いていた文章です。自分でも忘れていたことがけっこうあって面白かったので、せっかくだし公開してみます。

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 ゆにここカルチャースクールで『あなたが誰でもかまわない川柳入門』の第1回を受講した。ゆにここカルチャースクールとは、女性や障がい者など学びから周縁化されやすい人たちのためのオンラインカルチャースクールである。どの講座もクオリティが高く、地方在住者にはありがたい。

 講師は暮田真名さん。川柳句集『補遺』『ぺら』や現代川柳アンソロジー『はじめまして現代川柳』(書肆侃侃房)で作品にふれることができる。また、今年の春には左右社から句集が出版される。
(※追記 『ふりょの星』が2022年に出版されました)

 『はじめまして現代川柳』が手元にあるのだが、暮田さんの句で好きだったのは、以下の三句。

こんばんは 天地無用の子供たち
おそろいの生没年をひらめかす
寿司を縫う人は帰ってくれないか


 川柳を作ったことがない。サラリーマン川柳や暮らしの川柳、新聞の時事川柳にも興味が湧かなかった。ではなぜこの講座に申し込んだのかといえば、「あなたが誰でもかまわない」という謳い文句に、強い磁力を感じたからである。

 まずは私の話をしよう。ここ一年ほど、文芸の世界に片足を突っ込んでいる。
 私はもともと美術の人間で、毎週美術館に通う時期もあったし、今でもほそぼそとイラストを投稿している(例えばこの記事のサムネとか)。美術が生きる意味だった。しかし、コロナ禍を契機に生活はめまぐるしく変わってしまった。
 都会に住んでいたのにギャラリーにもショッピングにも行けず、一人暮らしの部屋は狭い上に物が多くて落ちついて絵も描けない。白いキャンパスと画材と資料を並べるだけでもそれなりの空間を必要とする。そもそも刺激ある場所が臨時休業しているのだから、インスピレーションを得ることも難しい。だから近所の図書館で借りてきた本を読むことくらいしか出来なかった。

 文芸は座るスペースさえあれば始められる(逆に言えばそれくらい私の部屋は片付いていなかった)。さらに効率性とリモート性を求めた結果、ネット小説の門を叩いた。人生で初めて小説を書いた。
 新たな趣味として、カクヨムというサイトに掌編を公開し始めた。おととしの夏である。そこからTwitterの文芸界隈の人を芋づる式にフォローしていって、母が録画していたプレバトにハマったり、小津夜景さんに感銘を受けたりして(詳しくはこちらのnoteで)、気が付けば俳句と短歌を始めていた。俳句歴は一年、短歌歴は四か月くらいだと思う。

 話を戻すと、なぜ「あなたが誰でもかまわない」という言葉に惹かれたのか。

 冬だったからだ。

 福岡で生まれ大分で育った私は、冬が分からない。進学してからはずっと大阪に住み、医療逼迫の現状をみて地元に当分の間引っ込んでいるのだが、今年雪を見たのはたったの3回だ。「雪かき」も「かまくら」も「どか雪」も語彙として知っているだけで実感が伴わない。つまり、冬の季語が分からない。冬の俳句が詠めない。

 新潟の人が書いたWEB小説に、衝撃を受けた記述があった。「コンクリートが透けて見えるほど雪が薄くなっていた」。
 どのような情景なのか、それは目に浮かぶ。大分でも、こういうことは起きる。しかし、「コンクリートが透けて見えるほど雪が薄くなっていた」とは捉えない。「一面の銀世界」。「コンクリートを覆ってしまうほど雪が積もった一面の銀世界」なのだ。

 雪国の人に、冬の季語では敵わない。同時に彼らは、春の季語では私に敵わないだろう。
 何にしろ、俳句という文芸は、季語を通して己の生まれ育ちを問うてくる。どこで生まれたか。庭にどんな草木があったのか。地域の盆踊りに参加したか。自室から星が見えるか。

 川柳はあなたが誰でも構わないらしい。講座のページが公開されたのは2月頃だった。冬の俳句に行き詰まって、けれども座椅子で完結する表現活動を求めていた。救世主は言い過ぎだろう。普段接点がないのにこちらの名前を覚えている社会科の高校教師。川柳はそんな感じの距離感と調子の良さで、私に声をかけてきたのだ。

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