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そして誰も見えなくなった
![画像6](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/56422451/picture_pc_78fb1b0e621de325cb704c31f29abe72.jpg?width=1200)
確かにそこに存在しているはずなのに、自分以外、誰にも見えていないということがある。
最近、そんなホラーのような場面を二度、目撃した。
一つ目は、家の近所にある池でだ。
![画像2](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/56420637/picture_pc_74223588a7cb973b0a755c830fca5214.jpg?width=1200)
その小さな池では、鯉(コイ)にエサをあげてもいいことになっていて、
とても蒸し暑い夏のある日、5歳くらいの女の子とお母さんがエサをやりにきた。
ホラーはすぐにそこで起きた。
子どもが言った。
「あ!金魚さんがいる!!」
![画像3](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/56421236/picture_pc_60103d768a852c523f3b2bb5fd2ccd1f.jpg?width=1200)
すぐにお母さんが言った。
「あれはね、金魚じゃなくてコイって言うのよ」
それを聞いて、ふうん、と子どもはバツの悪そうな顔をした。
またある日、低学年の男の子とお母さんが鯉にエサをやりながら言った。
「ママ!金魚もいる~!」
「まさる君、あれはコイよ」
![画像4](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/56421449/picture_pc_f3b3e5f24299846b36f78c1aaf6e4a09.jpg?width=1200)
またあくる日。
鯉にエサやってもいーい?、子どもが言った。
一回だけね、とお母さんが言う。
「金魚だぁ~!」
「金魚なんてどこにもいないでしょ、あれはコイ」
![画像5](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/56421533/picture_pc_d14dcb51341b600b5c4d67a32364ced5.jpg?width=1200)
その池には確かに金魚がたくさんいた。
しかし、オトナは誰も金魚が見えていなかったのだ。
なぜ?
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少し金魚の話をしよう。
金魚は大きくなる。
どのくらいかというと、たぶん、今、あなたが思い浮かべたものよりもずっと大きくなる。
小さい水槽だとそこまで大きくならないが環境さえ整えば、
金魚すくいの金魚が4センチくらいだとすると、最大30センチ近くまで成長する。デカイ。
とはいえ、鯉は60センチくらいのサイズなので、
金魚と鯉の違いなんて知らなくても、見たらすぐにわかる。
何より幼い子どもでもわかるくらいだ。
それなのになぜ大人には鯉しか見えていなかったのか?
なぜ「あれはコイよ」と子どもに平気で間違ったことを教えてしまうのか?
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![画像7](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/56422939/picture_pc_f80267997ca0f102d8e37799db484bdf.jpg?width=1200)
子どもの目は世界のありのままを映し出す。
目の前にあるものが世界そのものなのだ。
しかし、大人になると、いろんなフィルターを通して世界を見ることとなる。
![画像8](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/56422976/picture_pc_46b1d8840e3b6765b61534610c39789e.jpg?width=1200)
例えば、「池にいる魚は金魚ではなく鯉」「金魚は小さい魚である」といった偏見や先入観というフィルターから、
肩書きや忖度といった色眼鏡まで、挙げ出したらきりがない。
真っ白のキャンバスがどんどん色で埋め尽くされていく。
![画像9](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/56423222/picture_pc_b13ddc79389ccae425a8c2ea3ca81de0.jpg?width=1200)
もちろんそれらが全て悪いことだとは言わない。それぞれの処世術かもしれないから。
しかし、オトナになるにつれて、一つ、また一つとこの世界から何かが消えて、確実に見えなくなっているのかもしれない。
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テレビ番組『水曜日のダウンタウン』で
「水族館の水槽 ウニの代わりに栗が入っていても気付かない説」
が検証されていた。
![画像10](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/56423361/picture_pc_5e1a8e83c3d1ccd44ae33ed7fb89afc0.jpg?width=1200)
水族館内に展示されているウニを水槽から取り出し栗と入れ替え、水族館の開館から閉館までの8時間で栗だと気づかれなければ説立証とする。
何気なくご飯を食べながら見ていたのだが、この説の結末には思わずはっとさせられた。
「あ、栗だ!」
栗に気付いたのは子どもだけだった。
![画像1](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/56411378/picture_pc_8b76ea85a7b58b812f77103ad74032f3.png?width=1200)
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大学生の頃、初めて便箋7枚ものブログのファンレターをもらった時のことを今でもよく覚えています。自分の文章が誰かの世界を救ったのかととても嬉しかった。その原体験で今もやらせてもらっています。 "優しくて易しい社会科学"を目指して、感動しながら学べるものを作っていきたいです。